エネルギー溢れる歴史の地、俘虜収容所跡で平和を感じ...
ドイツ兵慰霊碑の特徴
明治・大正時代の捕虜収容所跡が確認できる施設です。
アジア初のベートーヴェン第九が演奏された歴史的な場所です。
水道施設跡や慰霊碑が点在する、静かな環境の史跡です。
エネルギーの良いところです。是非手を合わせに行ってください。
第二次世界大戦終結後、ここで暮らすこととなった高橋春枝夫妻は、住宅北側の池のほとりに見慣れない異国の文字が刻まれた「碑」を見つける。これが「板東俘虜収容所」のドイツ兵捕虜が解放される前に、板東・丸・松山の各「俘度収容所」で亡くなった11名を慰めるために建設されたドイツ兵の慰霊碑」であった。この霊碑を建設するにあたり一部のドイツ兵捕虜から、敵国の地に仲間の慰霊碑を残して帰ることへの反対意見があったものの、1919(大正8)年2月17日に建設作業が始まり、3月31日には松江所長も参列した完成式典が挙行されている。高様夫妻は、大陸で亡くなった仲間たちへの思いや、夫の敏治氏のウズベキスタンで同じ捕虜として収容されていたドイツ兵との交流の思い出が、板東の地からドイツに帰ることができなかったドイツ兵の思いと重なり、慰霊碑を生涯をかけて守っていくことを決心した。活動を始めて13年目の1960(昭和35)年10月、この活動が新聞で報道されたことがきっかけとなり、ドイツ駐日大使W.ハース夫妻らが11月29日に「ドイツ兵の慰霊碑」への献花と高橋夫妻に感謝の気持ちを伝えに収容所跡を訪れた。ハース大使の来訪から約1年後の1962(昭和37)年1月、元ドイツ兵捕虜エドアルド・ライポルト氏から、ドイツの日本大使館を通じて大麻町役場(当時)に一通の手紙が届く。そこには「収容所や慰霊碑が今どうなっているのか知りたい」、「年に一回程度、時のドイツ兵仲間と会合を開き、当時の思い出を語っており、今度は自由な身で日本を訪れることがわれわれの願いである」と書かれていた。ライポルト氏は大麻町からの返信で、高橋夫妻たちの手で慰霊碑が守られていることを知り、元ドイツ兵捕虜の会合で仲間に伝えた。慰霊碑が地域の住民の手で守られていることを知った仲間たちは、慰霊碑を保護する活動に対して感謝の手紙や寄付金、そして当時の写真や印刷物などを大麻町に送ることとなる。また地元では、元ドイツ兵捕虜から送られた「板東俘虜収容所の記録」を後世に伝え残すため、記念館建設の気運が高まるのであった。
静かな所 慰霊碑や住居後 水道施設跡などがあります明治 大正時代にかけて 中国で捕虜になった兵士が 集められた 国内での 一収容所ここで 俘虜の為に アジア初のベートーヴェン第九が演奏されたと記載されていました。
草蒸すも秋風と共に爽やかになります。
| 名前 |
ドイツ兵慰霊碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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古い慰霊碑は、一部判読が難しくなっている。また、設置されている場所が場所なので、蜘蛛の巣らしきものが張り付いていた。なので、目につくものは出来る限り払っておいた。新旧の慰霊碑は隣り合わせに設置されており、どちらも大切に、後世に残すべきである。特に旧慰霊碑については、収容所のドイツ兵たちとの約束もある。100年という年月が経とうとも、その約束は果たし続けるべきであろう。あまり知られてないかもしれないが、大阪・真田山陸軍墓地にはドイツ兵の墓が存在する。近畿住まいの方は、大阪を訪れた際には、こちらにも足を運んで欲しい。絶えることのない日独の交流、そして平和な世の中に祈りを捧げます。