阿蘇が見える秘密の場所で。
鏡山 西南戦争慰霊碑の特徴
狭く荒れた道を抜けた先には、阿蘇の絶景が広がっています。
ヘアピンカーブを走る冒険感が、特別な体験を生み出します。
秘密の場所として隠れた魅力を持つ歴史深い史跡です。
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阿蘇が見える 秘密の場所。
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| 名前 |
鏡山 西南戦争慰霊碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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一応車で行くことは可能ですが、道は狭く荒れてる上、ヘアピンカーブも幾つか有りで、あまりお勧め出来ません。砂利道が現れる辺りで路肩スペースに車を停め、徒歩で登った方が安心です(25分ぐらい)。昭和44年12月10日発行の「広報ごかせ」に、同年11月12日に執り行われた、この碑の除幕式の様子や、鏡山での戦いの詳細が紹介されています。当時の五ヶ瀬,蘇陽両町長、近隣のお寺も含め、総勢40人が参加した模様。以下、同誌より石碑側背面に刻まれている文章の内容です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー熊本の田原坂の戦いなど、数々の激戦を行い、これを逃れ矢部町方面から椎葉方面に南下した薩軍は、官軍との戦いを挽回するために、高城七之丞を三田井方面指揮長として、椎葉村の小崎、鹿野遊、財木を経て大字三ヶ所坂本に到達し、本営を設置、尚宮の原、広木野、赤谷男坂などの要所に陣を築き、馬見原周辺を守備する官軍堀江芳介中佐の指揮する、熊本鎮台歩兵第十三連隊約二千人と、一方薩軍の陣容約八百余数にて布陣すること数日、五月十四日午前零時を期して一斉に行動を起こしたと言われている。薩軍は、兼ヶ瀬を経由笠部越より鞍岡を衝く正義六番中隊延岡隊、正義五•七番両隊及び奇兵十六番中隊は鏡山の正面を衝き、更に岩神本道より境の松を中津隊が攻め、両軍が互いに入り乱れ、同胞相討つ悲劇の地である。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー\u003c実際の碑文\u003e矢部より椎葉越にて球磨へ退嬰の薩軍は 乾坤一擲頽勢を挽回すべく 高城七之丞を三田井方面指揮長となし 小崎 鹿野遊 戝木を経て坂本に到達 本営を設置 尚宮の原 広木野 赤谷男坂等の要所に塁壁を築き 堀江芳介中佐指揮する馬見原周辺守備の熊本鎮台歩兵第十三連隊と対峙数日 明治十年五月十四日午前零時室野八重所の里人を嚮導として一斉に進発せしが 兼ヶ瀬経由笠部越より鞍岡を衝く正義六番中隊延岡隊鏡山登攀 三面逆落としを狙う正義五七両中隊及び奇兵十六番中隊更に岩神本支道より境松を窺う中津隊の陣容にして 此処に渺漠たる煙霧の黎明より怨雨の午後五時に亘り両軍入り乱れ 宛ら屍山血河の惨澹たる攻防を展開 同胞相討つ悲劇を演す 嗚呼。