迫力ある四天王と参拝。
長命寺の特徴
練馬区高野台に位置する江戸時代創建の真言宗の古刹である寺院です。
南大門には四天王が守る力強い姿が見られる壮麗なお寺です。
武蔵野三十三観音霊場の第一霊場として非常に由緒ある名所です。
迫力ある山門の増長天広目天に目を奪われます。境内も広く多くの石仏があります。ここは知る人ぞ知る紫陽花寺のようで、紫紺の暖簾の入り口をくぐるとちょっとした紫陽花の散歩ができます。これだけ暑いと6/19時点見頃のピークは過ぎたようです。
2025年5/31時点の状況です。時期的に早いかと思っていたが想定よりも開花していました。
武蔵野三十三観音霊場として参詣させて頂きました。御府内八十八ケ所の17番札所でもあります。たまたまかもしれませんが、警備員の方がいらっしゃり、駐車場は境内へと案内いただきました。境内には沢山の仏像や堂宇があります。丁度、梅が咲いていました。御朱印は受付で目前で直書きで浄書して頂きました。息を呑む筆遣いに感動しました。ありがとうございました。
2025年2月26日ウオーキングの例会の際に寄りました。御府内八十八ヶ所霊場17番札所です。梅の花がほころんでいました。梅は水彩画によくマッチしますね。私は東京都ウオーキング協会(TWA)の会員です。TWAの例会で街歩きをしています。その際にいいなあと思った場所をスマホで撮影していましたが、グーグルマップにも投稿しようと思い立ちました。懐かしい場所を久しぶりに訪れてみると変わっていた!ということに新鮮な感動があったりします。この思いを皆さんと共有できたらと願っています。
最寄り駅 西武池袋線上石神井公園駅より徒歩10分拝観料は無料 トイレ無し山号 東高野山宗派 真言宗豊山派本尊 十一面観音札所等 武蔵野三十三観音霊場 1番御府内八十八箇所 17番豊島八十八箇所 17番当寺院は、慶長18年(1613年) に後北条氏の一族である慶算阿闍梨[注 2]によって弘法大師像を祀る庵を作ったのが始まりといわれている。甥にあたる増島重俊[注 3]によって観音堂・金堂などが整えられた。当寺院が高野山奥の院を模して多くの石仏・石塔が作られており、東高野山とも称されるようになり「東の高野山」として人々から信仰を得るようになった。との事です広い境内なのに綺麗なお寺さんで、高野山奥の院を模しているだけ有り石仏、石塔が数多く有り雰囲気が有りますが、石仏や山門の四天王の天像も独特のデザインで面白いですね目に力が有りますね広いので見て回るにも時間は必要ですが静かで凄く良い場所でした。
練馬区高野台の江戸時代からある真言宗の寺院。東高野山妙楽院長命寺が正式名称。
御朱印をいただきに訪問。綺麗な紫陽花の道がありました。
江戸名所図会にも描かれ、「東高野山」とも称された真言宗の寺院。高野山奥の院を模して多くの石仏・石塔が作られている。境内は広く、落ち着いた雰囲気。そんな中、南大門、弘法大師像、鐘楼、観音堂とどれもかなり立派で奥の本堂に向けて足を進めるほど驚く。北条早雲のひ孫にあたり、後に出家して慶算阿闍梨になった増島重明が、弘法大師像を祀る庵を作ったのが始まり。
高野台の地名の由来にもなったという東高野山(山号)南大門には四天王が守っています。目が独特で他所には見られません。慶長18年(1613)後北条氏の一族である増島重俊が諸堂を建立、寛永17年(1640)に大和長谷寺の秀算により長谷密寺と号したといいます。何度かの火災で新しい建造物がほとんどですが、仁王門は残っています。東京都指定史跡 高野山・奥の院を模したところが特に印象的です。反り石橋である廟御橋を渡り御影堂へ、御影堂は戦後に再建された鉄筋コンクリート建築で、その四隅には五重石塔が立ち、石仏(十三仏・七観音・六地蔵・閻魔十王)に囲まれています。
| 名前 |
長命寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
03-3996-0056 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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紫陽花を見に初めて訪れました。まずは参拝してからですね。ちょうど菩提樹の花が満開の時期だったようで、なんだかありがたい気持ちになりますね。小高い丘を青い紫陽花が彩り、周りを色とりどりの紫陽花が取り巻いて咲いています。大師堂に続く参道の両脇にも園芸種の紫陽花と、墓地側に咲く青い紫陽花が綺麗です(*´˘`*)