桜映える金ノ間櫓跡。
松坂城 金の間櫓跡の特徴
本丸東に位置し、歴史的意義を感じられます。
金の間櫓の石碑が立つ博物館のような場所です。
桜の花が綺麗に咲き、四季を楽しめる景観です。
櫓の中で別格2023年9月中旬、松坂城周辺探訪の際に寄りました。和多くあった松坂城内の櫓の中で最も大きく、台所がついており、襖や名前にあるとおり、櫓内に金の襖や壁際に金箔を貼ってあったろくささませ。
本丸東の位置です。
金の間櫓の石碑が立っています。ここも階段が残っています。
桜の花が綺麗に咲いていました。木には、可愛らしい鳥もとまっていました。
| 名前 |
松坂城 金の間櫓跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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金ノ間櫓跡は、松坂城本丸上段の東側に設けられていた櫓の跡です。本丸には天守を中心として、敵見櫓や金ノ間櫓など複数の櫓が配置され、城主の居所である本丸を守るとともに、城の威厳を示す役割を担っていました。金ノ間櫓は、その名の通り内部に金箔を施した部屋「金ノ間」があったと伝えられ、松坂城の中でも格式の高い櫓の一つでした。松坂城は天正16年(1588)、蒲生氏郷によって築かれた平山城です。氏郷は豊臣秀吉の命を受けて南伊勢へ入り、四五百森に城を築くとともに、城下町の整備を進めました。本丸上段には三層の天守がそびえ、その周囲を敵見櫓や金ノ間櫓などの櫓が固めることで、城の中心部にふさわしい防御と格式を備えていました。17世紀中頃に描かれた「勢州松坂城図」にも、天守の東側に金ノ間櫓が描かれており、当時の本丸の構成を知る貴重な資料となっています。天守や櫓は単なる軍事施設ではなく、城主の権威を示す象徴でもありました。特に金ノ間櫓のように特別な名称を持つ櫓は、来客の応対や儀式の場としても利用された可能性があります。現在、建物は失われていますが、櫓台の石垣が残されており、往時の規模を感じることができます。松坂城の石垣は、自然石を巧みに組み合わせた野面積みを基本とし、隅部には算木積みの技法が用いられています。長い年月を経ても崩れることなく残る石垣は、蒲生氏郷の築城技術の高さを今に伝えています。また、金ノ間櫓跡は、松阪の歴史を考える上でも重要な場所です。現在この付近には「松阪開府之碑」が建立されており、蒲生氏郷が築いた城と城下町の発展を顕彰しています。戦うための城として築かれた松坂城が、その後商業や文化が栄える松阪の礎となったことを、この場所は静かに伝えています。本丸上段の石垣に立ち、天守跡や城下町を望むと、かつて金ノ間櫓が本丸を彩っていた時代の姿が思い浮かびます。豪壮な石垣だけでなく、櫓一つひとつに込められた役割や意味を知ることで、松坂城の縄張りの巧みさと、蒲生氏郷が築いた城の魅力をより深く感じることができます。