松阪城近く、文化財が魅力!
松坂城 隠居丸跡の特徴
日本百名城に選ばれる松坂城は歴史的価値が高い!
文化財が多く、観光学習に最適な場所です。
鈴屋の向かいに位置していて、アクセスも良好です。
日本百名城🏯✨ 松坂城🏯 3️⃣本居宣長先生松阪市の小学生は、4年生で本居宣長、5年生で松浦武四郎、6年生で蒲生氏郷や三井高利について学習するそうです。本居宣長先生の名言「才能とか時間がないということなどで学ぶことをやめないでほしい。常に学ぶ心を持って一生、人や物すべてから学び続けてほしい。」宣長先生は、昼は医者として働き、夜は2階の四畳半の書斎に上がり研究に没頭しました。最初は宣長先生の勉強部屋を『鈴屋』(すずのや)と呼んだのですが、あとで宣長先生の家そのものを指すようになりました。松阪市中心部の魚町【うおまち】にあった『鈴屋』ですが、1909年、火事などの危険から守るため、松坂城隠居丸に移されました。
今は文化財多し!2023年9月中旬、松坂城周辺探訪の際に行きました。こちらの名前の由来は、かつての城主であった古田重勝が隠居するために設けた曲輪だからとのことまたこちらには国の特別史跡に指定されている本居宣長の旧宅国の登録有形文化財に指定されている鈴屋遺跡保存会旧事務所・倉庫・正門・塀があります。あとこちらから見える御城番屋敷はとても美しく見えます。
鈴屋の向かいになります。
| 名前 |
松坂城 隠居丸跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.matsusaka.mie.jp/site/kanko/matusakajogaiyou.html#inkyomaruato |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
隠居丸跡は、松坂城本丸の南側に位置する曲輪です。本丸や二ノ丸とともに城の中核部を構成し、江戸時代には道具蔵二棟、宝蔵、米蔵が置かれ、城の運営を支える物資の保管場所として重要な役割を担っていました。現在は、本居宣長旧宅「鈴屋」が移築保存されており、城郭と文化遺産が調和する松坂城跡ならではの景観を見ることができます。松坂城は天正16年(1588)、蒲生氏郷によって築かれた平山城です。本丸を中心に、二ノ丸、きたい丸、隠居丸が渦を巻くように配置された「渦郭式」の縄張りが特徴で、隠居丸は本丸南側を守る重要な曲輪として築かれました。周囲には高い石垣が築かれ、城内でも防御性の高い区域となっています。隠居丸の石垣は、天守台周辺に見られる野面積みとは趣が異なり、江戸時代の修築で採用された打込みハギの石垣を見ることができます。表面を加工した石を組み合わせた端正な石積みは、時代による築城技術の変化を知ることができる見どころの一つです。本丸や二ノ丸の石垣と見比べながら歩くと、松坂城が長い歴史の中で補修や改修を重ねてきたことがよく分かります。現在、隠居丸跡には松阪出身の国学者・本居宣長が生涯の大半を過ごした旧宅「鈴屋」が建っています。この建物は、もともと魚町一丁目にあったものを明治42年(1909)に現在地へ移築したもので、昭和28年(1953)には旧宅と旧宅跡が国の特別史跡に指定されました。隣接する旧鈴屋遺蹟保存会事務所(現・桜松閣)とともに、松阪を代表する文化遺産となっています。隠居丸跡は、戦国時代には城を支える蔵が並び、江戸時代には紀州藩の城代支配を支える施設が置かれ、さらに明治以降は本居宣長旧宅の保存の場となるなど、時代ごとにその役割を変えてきました。軍事・行政・文化という異なる歴史が一つの場所に積み重なっている点は、松坂城跡の中でも大きな特徴といえるでしょう。本丸や天守跡の壮大な石垣を見学した後に隠居丸を訪れると、城郭の歴史だけでなく、松阪が育んだ学問や文化の歴史にも触れることができます。城を守るための曲輪として築かれたこの場所は、現在では歴史と文化を静かに伝える空間となり、松坂城跡の魅力をより一層深めています。