土津神社への石畳、歴史息づく道。
会津松平初代藩主 保科正之公墓所の特徴
保科正之公墓所は、会津藩祖が眠る厳かな場所です。
土津神社と密接な関係があり、出世の神として知られています。
日光の東照宮と並ぶ素晴らしい観光スポットです。
車でも近くまで行けますが、是非土津神社から石畳の参道を歩いて参拝することをお勧めいたします。(本来の石畳は土の下に埋め戻されて保存されています)正之公はあえて若松城の鬼門にあたるこの地で埋葬させたのでしょうか?八角形は古代は皇族の墳墓の証し、その形を鎮石にしたのも、当地では絶大な信望を集めていたのでしょう。
保科正之ファンなら一度は行くべし✌️
庶子である事で苦労された方の様ですが、努力され出世したことから、土津神社は、出世の神と呼ばれてるのですね。
猪苗代観光をするに、手前勝手に猪苗代で代表的な史跡等は何かなと選んだのが、猪苗代湖畔、野口英世記念館、土津神社。よく調べもせずに行って、帰宅後、磐梯山をご神体とする式内社磐椅神社というのがあることを知って後悔。保科正之は死後、磐椅神社の近くに墓所を構え、その末社に連なり、神に奉仕したいとのこと。また、会津若松城の鬼門にもあたり、死後会津の地を鎮護するようなことだったのかと。猪苗代駅前の観光協会でレンタサイクルを利用し、猪苗代湖畔、野口英世記念館を回り、土津神社に。土津神社で参拝を終え、社殿右方より徒歩約10分ほど。#20230724#猪苗代白河関観光2日目:野口英世記念館→土津神社→保科正之公墓所。
会津の偉大なご先祖の厳かな墓所です。素晴らしい景色の中に佇んでます。
会津藩祖 保科正之公のお墓があるところです。保科正之は、徳川二代目将軍 徳川秀忠の庶子で、三代目将軍徳川家光の異母弟です。お墓は神式で葬られ、八角形の形をしています。土津神鎮石とも呼ぶそうです。その前に會津中将源君之墓があります。なお、上のものは柵や門で閉じられ、その周りを見て回ることが出来ます。この辺は日光東照宮の徳川家康公墓と似たような見学になるかと思います。このあたり一帯が神域と言っても良いくらい、厳かな雰囲気があります。また、土津神社拝殿からここまでの参道もこれまた厳かな光景です。ちなみに、会津藩主二代目以降は、会津若松市東山町にある院内御廟に葬られています。そして、土津神社と院内御廟を合わせ、会津藩主松平家墓所として国の史跡に指定されています。拝観には、お年寄りなどであれば、すぐ近くに駐車場もあります。
ホントにここだけは空気が違います。凛とした雰囲気で鳥の鳴き声と風の音しか聞こえません。まさにここで眠っていらっしゃる保科正之様に感謝したくなります。オススメです。
会津藩二代藩主保科正之公から九代藩主松平容保公までが眠っています。下の土津神社から石畳を登るのが順番でしょうか?とにかく静かなな場所です。
※ 土津神社と一部重複土津神社は会津藩の藩祖、保科正之公を祭神とする神社だが、ここ保科正之公墓所を造り、その後に神社を建立したとのこと。奥の院という名前が付いているが、土津神社に来たからには、保科正之公墓所まで足を伸ばさないと、余り意味はない。神社右脇から両脇に杉の木が生え揃う玉石が敷き詰められた参拝路を500m 強登る。非常に歩きにくいのが、かなり面倒。その先に微に見えるのは、墓そのものではなく、手前にある遥拝所であるが、パワースポットと呼ぶに差し支えない雰囲気を醸し出す(パワースポットなのかは保証しない)。なお、墓所というか、八角形という鎮石は、一段と小高い丘の上にあるが、周囲は柵で囲われ遠くから眺めるのみ、それでも正之公が崇敬した吉川神道の色が濃く出たと思われる、今では余り、いや全然類を見ない独特な雰囲気は、ひしひしと伝わる。
| 名前 |
会津松平初代藩主 保科正之公墓所 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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2025.7.12(土)バイクツーリングで参拝非常に静寂に包まれた厳かな雰囲気に包まれておりました。静けさとはこのような事なのでしょう。