感慨深い歴史散策、筒井順慶の地。
五輪塔覆堂の特徴
きれいに整備された筒井順慶公園の雰囲気が素晴らしいです。
近鉄橿原線平端駅から徒歩5分でアクセスも便利です。
天正12年に亡くなった筒井順慶の墓が重要文化財です。
きれいに整備されている。
今日の旅の終わりにここに来たせいか、すごく感慨深いものがありました(;;)ここにこれて良かった…そんな気持ちです。「平端駅」から徒歩5分ほどの距離。筒井城址へ行かれる方はここから徒歩で20分ほど、「筒井駅」からは10分ぐらいかな?あるいて筒井の町を歩くのもありですd('∀'*)門が設置されてましたが、自由に中に入れました。
近鉄橿原線[平端駅]徒歩5分の[筒井順慶公園]内にあり、天正12年[1584年]郡山城中で36歳の若さで亡くなった筒井順慶の墓があります❗️1944年重要文化財に指定された。現時点休園中であり、入場出来ません。
五輪塔覆堂「元の木阿弥」で有名な筒井順慶は、家来の島左近とともに、戦国時代の大和を代表する人物です。興福寺の僧籍もあったので、どんなお墓かと訪問しましたが、五輪の塔が堂の中にあり、はっきりとは拝むことはできません。重要文化財ではあるようですが、もう少しお参りしやすいといいなと思います。駐車場はありません。以下、当地の掲示板より転記「1944(昭和19)年9月5日、 重要文化財 (建造物) に指定されました。筒井順慶 (1549~1584) の墓所。 順慶は天正12年に 郡山城中で亡くなり、奈良の円証寺に葬られ ましたが、 後に改葬し、この地に埋葬され ました。 桁行1間、梁間 1間の宝形造の 建物で、柱の間に貫をわたして板塔婆を 目透かしに打ち付け、 内法長押は連子窓と します。 軒は一軒の疎垂木とし、本瓦葺の 屋根に宝珠と露盤をおいています。 覆堂の中には五輪塔が1基あり、「順慶陽舜 房法印三六歳、干時入滅天正十二季甲申 「八月十一日」の刻銘があります。」
筒井城から車ですぐ。
この人順慶の父が伊賀の藩主の頃柳生攻めをして幼かった頃の柳生新陰流創始石州斉を人質に獲り、順慶が虐めまくって挙げ句父の逆鱗に触れた曰く付きのぼんぼん育ちで大馬鹿者の代名詞を付けられたうつけ者で家を滅ぼした張本人だけに嫌いこそすれ好きにはなれない、この場所は軽四以外は必ず車体を傷つけますご注意、カーナビの通り行けばとんでもないところへ案内されます。
墓の無い人生は儚い。
夏に行くと草が生えてて蚊に噛まれる恐れがあります。
| 名前 |
五輪塔覆堂 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0743-53-1151 |
| HP |
https://www.city.yamatokoriyama.lg.jp/kanko_bunka_sports/kanko/meishoannai/6146.html |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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五輪塔覆堂は筒井順慶の墓所です。周囲に駐車場はなく細い道路の住宅地なので訪問には要注意です。内部に入るには大和郡山市の都市計画課への事前の連絡が必要とのことです。【以下大和郡山市HPより】天正<てんしょう>12年(1584)、36歳の若さで亡くなった順慶は、いったん円証寺<えんしょうじ>(奈良市)に葬られたあと、この長安寺の墓所に移されました。この墓所は「御廟所<ごびょうしょ>」と呼ばれ、もともとはかなり広い面積を占めていたといわれています。西寺というお寺が建てられ、墓地を守っていたようです。覆堂は十尺四方の一間堂<いっけんどう>で、屋根は本瓦葺の宝形<ほうぎょう>造り。東側に戸口(入口)を設け、引き違いの格子戸をつけ、他の三方には五輪塔形に刻んだ角材を立てています。ひじょうに小さな建物ですが、近世初頭の墓堂として優れた意匠をもつものです。建物の中には順慶を供養する五輪塔や、一周忌に寄進された石燈篭も残されています。建物の中には順慶を供養する五輪塔や、一周忌に寄進された石燈篭も残されています。見学は自由にできますが、堂の内部に入るには市都市計画課に申し出てください。