歴史香る千住宿横山家。
横山家住宅(紙問屋松屋)の特徴
横山家住宅は千宿の宿場町の雰囲気を残しています。
江戸時代の商家としての貴重な建築構造が評価されています。
彰義隊の刃の跡が残る庇の柱が見どころです。
東京都は足立区に有ります「横山家住宅」です。千住の旧日光街道沿いに有り、千住の宿場町の名残りの建物です。横山家住宅が建てられたのは江戸時代の後期。横山家は江戸時代から続く裕福な商家で、今で言う再生紙を取り扱う問屋でした。横山家は幕府の政策の各宿場で負担する伝馬(=人や物資の輸送をする馬)の負担をするぐらいの豪商だったとの事です。因みに伝馬を負担すると年貢を免除されると言うシステムだった様ですね。いつの時代も政の政策を頭を捻って考えだしていたんですね。伝馬の負担と年貢の支払い…どちらが得なのでしょうか?やはり伝馬の負担の方が少しは得なんでしょうかね多分…。いや〜でも幕府は理不尽な負担を言って来そうですがね(笑)。分かりませんが。因みに説明書看板によると、幕末の動乱期に上野で新政府軍に敗れ敗走した彰義軍が切りつけた、玄関の柱の傷痕が残っている様です。地味な史跡ですが、上野戦争(戊辰戦争の中の一つ)の跡が残る貴重な史跡です。宿場町だった北千住の旧日光街道、今は商店街になっていますね。皆さんもブラリとどうぞ。
横山家は江戸時代「松屋」の屋号をもつ紙漉を生業とする豪商でした。宿場町特有の伝馬屋敷の様式をもち、街道に対して間口が広くとられており、富裕層の特徴が伺えます。戸口は一段下げて、来訪するお客様に対する敬意を表しているそうですよ。江戸時代後期に建造され、昭和11年(1936) 改修工事が行われたようです。また、明治維新のころ、上野戦争で敗退する彰義隊が玄関の柱に切り付けたという疵、またさきの大戦中、焼夷弾が貫いた屋根などが残っているようです。
足立区郷土博物館の出張展示(既に終了)で家の中を見る事が出来ました。普段は見る事が出来ない、彰義隊による刀傷に歴史を感じました。
横山家住宅北千住駅から徒歩7〜8分旧日光街道千住宿であったサンロード商店街(宿場町通り)に横山家住宅が建っています。安政2年に建てられた横山家の住宅で、木造二階建て細格子造り。現在の建物は昭和11年に改修されてはいますが、ほぼ建築当初の姿を保っており足立区の有形文化財に指定されています。横山家は地漉き紙問屋を営んでいた旧家で、江戸時代には、公用の旅行者に対する便宜を図って伝馬役を負担したことから「伝馬屋敷」とも呼ばれていたそう。慶応4年上野彰義隊が官軍との戦いで敗走した際に付けたとされる刀の跡が玄関の柱に今も残されていますよ。横山家住宅の他にも周辺には千住宿の面影をしのばせる建物が数棟残っているので、是非足を運んでみて下さいね。住所東京都足立区千住4-28-1アクセスJR,地下鉄日比谷線・千代田線,東武伊勢崎線北千住駅西口から徒歩7分。
文化財的な案内板と時々歴史ガイドさんと散策している人で認知していましたが、改めて案内板を読んでみたら区の登録有形民俗文化財でした。元々は奥のお寺さん位まで在るうなぎの寝床の様な敷地で、再生紙の問屋と共に幕府公認レンタル馬?の伝馬屋敷だったとの事です。
歴史の雰囲気がある建物です。木造の昔の商家の大きな家ということがわかります。説明もあって便利です。屋根に雑草が生えたりしているので、もう少し手入れをしたほうがいいでしょう。
中が見れないのはざんねんですが、宿場町当時の雰囲気を残す貴重なものです。
今も残る江戸時代からの商家(千住宿場町通り)江戸時代の四宿 新宿、品川、板橋、千住のうち最も栄えたのは千住宿で最盛期には1万人もの人々が生活していた。千住宿は日光街道、奥州街道の初宿であり歴史は徳川以前に遡る。現在の北千住は駅ターミナルとして大賑わいであるが、一歩脇道に入るとかっての宿場町の雰囲気が随所に残っている。特に千住宿場町通りは荒川放水路の建設により途中から遮断されたために取り残されて戦前は宿場町の雰囲気を色濃くのこしていた。しかしながら、東京大空襲によりほとんどが焼き払われてしまったようだ。しかし、戦災にもめげず生き残った家屋も数少ないがいまも現存している。その千住宿場町通りを荒川岸まで歩いてみると宿場町の薫が漂っているのを感じることができる。この薫はいつまで続くのだろうか・・・・
昔の商家の建築構造が残っている稀少性を評価。上がりがまちが土間より一段低くなっているのがいかにも腰の低い商人の生活と身体感覚を今に伝えてくれます。
| 名前 |
横山家住宅(紙問屋松屋) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
https://www.city.adachi.tokyo.jp/bunka/chiikibunka/bunkazai_yokoyamakejuutaku.html |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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旧日光街道沿いにある古い建物である横山家住宅は、江戸時代後期の建造物で、宿場町だった千住の名残を今に伝えています。江戸時代には千住宿を公用で通る荷物を人や馬で運ぶ伝馬役を負担していました。伝馬役は間口に応じて課されたため、敷地は間口13間、奥行き56間と鰻の寝床のように長くなっていました。横山家は、江戸時代から続く富裕な商家で、屋号を「松屋」といい、今でいう再生紙を取り扱う地すき紙問屋でした。横山家住宅は戸口が街道から一段下がっており、上にいる客を下から迎える形となっています。これは、お客様をお迎えする心がけの現れといいます。横山家の柱には、幕末に上野戦争に敗れ、千住に逃亡してきた彰義隊士が付けた刀傷が残されており、幕末の動乱に巻き込まれた千住の様子を知ることができます。ここは、外観だけの見学で中に入ることはできません。