吉原神社と弁天堂、歴史を感じる。
新吉原花園池(弁天池)跡の特徴
江戸時代初期に湿地帯があった跡地で吉原の歴史を感じる場所です。
関東大震災で亡くなった女性の祀られる独特な雰囲気の神社です。
かつての花街に隣接した花園池の名残がある小さな神社です。
吉原神社の奥宮?吉原の歴史がわかる新聞記事の抜粋のようなものが掲示されていました。池には大変立派な鯉が泳いでいました。訪問時像の台座を丁寧にお掃除されている方がいました。
関東大震災で大量の遺体があった池もめちゃくちゃ小さくなりながらも鯉が泳いで残ってます震災の石碑もあり、極彩色の弁天堂が如何にも吉原な感じで良かったです。
浅草の浅草寺から北へ徒歩20分程度行ったところに、新吉原花園池跡があり、赤い旗が立っているのですぐわかりました。(結構、遠いですが)外から見ると木々の多い小さな公園のようですが、中に入ると中心に池があり観音様が立っています。亡くなった遊女の慰霊ではなく、近くに行ってみると、関東大震災で亡くなった方への慰霊だとわかります。関東大震災の時に多くの人がここに逃れて溺死してしまわれたそうで、池の湖畔には江戸時代から弁天祠が祀られていています。現在は浅草七福神の一社になっており、参拝者がちらほら見受けられます。
吉原神社から歩いて数分。吉原神社へ参拝した後にこちらへ。中に入ると少し空気感変わります。昔の吉原の写真などもあり、吉原神社よりこちらの方が滞在時間長かったかもしれません。見どころのたくさんある場所でした。ありがとうございました。
今年(2023年)は関東大震災から100年の節目にあたる。大震災による吉原の大火で弁天池に身を投じ沢山の命が失われ慰霊の観音像を建立とある(人数に関しては諸説あり)。弁財天の戸口左に「新吉原女子保健組合」の塔があり、感慨深い。
【ここの方が、吉原って感じのする寺社仏閣】2023/01/20 19時半ごろ訪問吉原神社へ行った帰りに見つけたので【行き方】・ここも、地下鉄の入谷か三ノ輪が最寄になりますが、どっちにしても徒歩10分くらいは歩きます。・駐車場駐輪場はありません。・特に入場料などはありません。【雰囲気】・なんでしょうね、「池」は確かにありますが、いけというほど大きくないです。ちょっと大きな水たまり程度。・その水たまりなんかよりも、境内?の中になんだかわからないお地蔵さんや記念碑があります。それと、禍々しい感じのする宗教的なアート絵画も。・吉原神社とここ、興味のある方はぜひ両方とも行くと良いでしょう。150メートル程度の距離ですしね。
町中の一角に有ります。吉原神社の飛地扱いなのか?震災で亡くなられた関係者をまつるために出来たようです。明治期の大門を飾っていた弁天様かと間違える観音様が見守ってます。ポツリポツリと疎らな彼岸花が悲しげに咲いてます。
この辺は江戸時代初期までは湿地帯が多くあったが明暦の大火の後埋め立てられその後に日本橋の遊郭が移って来て吉原遊郭が造られた一部池が残され花園池等と呼ばれいつの間にか弁天様が祀られ吉原の人たちに信仰された。関東大震災の際ここに多くの人が逃れてきて多数の人が溺れ死ぬという悲劇が起こったその人たちの慰霊碑がここに建立しています。池は昭和三十四年に吉原電話局建設のために埋め立てられました。一部がここに残されてます。入谷のダイソーでの買い物後入谷千束散策の際に訪問ここにあることは知りませんでしたここで多くの人が関東大震災で亡くなられたことを知りお参りさせていただきました。
吉原神社から歩いてすぐです。吉原の歴史や関東大震災被災者慰霊のこと、また家田荘子さんのこの施設に関する取り組みについて掲示がされており、厳粛な気持ちで参拝させて頂きました。
| 名前 |
新吉原花園池(弁天池)跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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友人に連れられて何も知らずに行きましたが、入る前に言い知れぬ「重さ」を感じました。入ってみてこの地の歴史を初めて知り合点が行きました。ひところ家田荘子さんの著作を読んでいただけに何か縁を感じました。一度入れば、私には心地よい空間でした。感じやすい方は、慎重に。