平賀源内の墓、ひっそり佇む威厳。
源内墓の特徴
静かな雰囲気の中に、平賀源内のお墓が佇んでいます。
江戸の粋人である平賀源内、エレキテルの発明者としても有名です。
扉を開けての参拝が可能で、訪れる価値のある史跡です。
台東区橋場何度か斜向かいの銭湯富士の湯訪問しましたが、まさかここにあるとは。平賀源内が眠った総泉寺は関東大震災の後板橋区に移転。しかしながら住民の熱い思いで源内のお墓だけ残されたとのこと。
橋場二丁目バス停からすぐのところにありました。明治通り沿いにも案内の石碑が建っていました。明治通りから少し入った所にありましたが予想以上の堂々とした霊廟でした。かんぬきがかかっていましたが開放時間内は自由に入れるようでした。扉の中も思った以上に整備されていてお庭のような趣があり清掃もきちんとされているようでした。いまだにその名を忘れられることのない偉人らしいお墓でした。拝観が終わったらきちんとかんぬきを戻して出ましょう。
リスペクトする平賀源内さんの2回目のお墓参り。扉は自分で開けて中に入れます。世話人の方がいらっしゃるようでお墓周りはいつも綺麗にされています。屋根があるので、雨の日でもお参り出来ます。(本日はゲリラ豪雨があり、雨宿りさせて頂きました)夏場は大きな蚊がものすごく寄ってくるので、虫除けスプレーを忘れずに。源内先生が亡くなってから、200年以上経っている今でもお墓参りができることに感謝です。また来ます!!
扉を開けて参拝できます。江戸時代のマルチクリエイターとしては有名な人物ですが、墓石はひっそりした場所です。元々あった総泉寺の境内あったのですが、同じ境内あったおばけ地蔵や妙亀塚も、総泉寺移転して残されてしまいました。
あまりにもひっそりと佇んでいて気付かずにいた。中は整然と手入れされ、ゆっくりと手を合わせる事が出来た。
平賀源内のお墓。国指定史跡です。場所は台東区のほぼ北端で、荒川区との境になる明治通りより1本入った通りに面している。正面は築地塀と鉄の扉があって、ちょっと閉鎖的で周りの住宅とは相容れない感じがします。扉は一見しまっておりますが、鍵はかかっておりません。扉のかんぬきをずらして中に入ることができます。中には入ってすぐ左手に《靜軒先生之碑》、その横に史跡の石碑、その先にお堂があって、お堂のなかに源内のお墓と、従僕の福助の墓がある。その奥には大きい<平賀鳩溪先生墓域修築之碑>がある。昭和5年に建てられたものです。その先によくわからない墓石がおいてあります。もともとは曹洞宗の妙亀山総泉寺があった場所で、そこに源内の墓があったということらしい。総泉寺は関東大震災で被災し板橋区小豆沢に移転したが、源内の墓はそのままで現在に至る。総泉寺は秋田藩佐竹氏の江戸での菩提寺で、秋田藩と関係の深かった源内の墓がもうけられた、ということらしい。
ひっそりと、いや威厳があります。
平賀源内、江戸の粋人叉教養もあり、橋の設計をたのまれた、しかし、酒に酔い設計図を盗まれたと思い込み盗人と見た相手を切り 捕縛後獄中で死をとげた、土用の丑の日ほウナ様で元気になろう、のキャンペーンは有名。
あのエレキテル、土用の丑の日を作った平賀源内さんのお墓です!お参りしてもらいました。
| 名前 |
源内墓 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
090-2909-8141 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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白鬚橋近くにあります。自分が子供の時に西田敏行主演のちゃんばらのない時代劇を見たのが平賀源内を知ったきっかけです。思えば田沼意次が再評価されて以来、露出が多くなってきたような。