饒速日命の三本の矢、特別な場所。
一之矢塚(饒速日命伝承地)の特徴
田んぼの真ん中にある、隠れた史跡でアクセスが難しいです。
饒速日命が放った三本の矢ゆかりの地に位置しています。
背の高い草が生い茂る自然豊かな環境で静寂が感じられます。
ニギハヤヒの三本の矢一本はこちらに落ちたと伝わります。なーにもありません。 小さな石碑があるだけです。 周りは畑。 そこだけ耕されることなくこんもりと残されています。興味のない方には目にもとまりません。真偽は問いません。 受け継がれ残されていることに意味があります。
天孫降臨のモデルとされた饒速日命が宮殿を定める時に天の磐船より放った矢の一本目が落ちた場所とされています。
田の畦道上にあり、管理もされていない状況ですね。
饒速日命が河内の河上哮ケ峯に天の磐船に乗り降臨後、都を定めるために再び磐船に乗り、三本の矢を放ち、一本目の矢が落ちた地点である。二の矢塚があり、都があったとされる矢田坐久志玉比古神社は北側270メートルに存する。
川沿いの未舗装道路を進んで、田んぼの真ん中にある、背の高い草が生い茂った一画にあります。言い伝えを知らないと気づかないでしょう。我が国も神話からしっかり小学生教える必要があると思う今日このごろです。ありがっ様です。
2024年8月17日に訪れました。日本神話の神武東征において、那賀須泥毘古(ナガスネヒコ 長髄彦)が神として崇めていた神様が、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)です。神武天皇が、長髄彦と大和で戦う前に、既に大和の地へ降臨していた神様だと考えられています。饒速日命が、天磐船に乗って河内国から大和国のどこに降臨するか探します。饒速日命は、船上から三本の矢を放ち、矢の落ちた場所を候補地としました。一番目の矢が落ちた場所が、この塚の地だと伝えられています。ちなみに二番目に矢が落ちた場所が、矢田坐久志玉比古神社です。三番目に落ちた場所が、神社の北側にある三之矢塚と伝わっています。
饒速日命が天磐舟に乗り宮を置くべき地を決める為放った三本の矢。その一番目の矢が落ちた場所。この付近は矢田と呼ばれる由縁。宮は二の矢が落ちた矢田坐久志玉比古神社に置かれたらしい。浪漫に満ちたこの地、ひっそりあるのが余計に神話性を増して感じられる。
田んぼの中にあるので、わかりにくいかもしれません。近くで聞いてみるのがいいでしょう。
写真のとおり、何もない塚です。磐船神社のある場所に天降った饒速日命が放った三本の矢のうち、第一の矢がここに落ちたとされていますが、しかしその根拠となっている伝承を私は知りません。大和郡山の『郷土の伝説(駒井保夫著)』という本に書かれている「稲塚」がこれだと思います。稲塚には2つの別々の伝承があるそうで、一つが大海人皇子(天武天皇)に関する伝説、もう一つは長脛彦に関する伝説です。まあ、長脛彦と饒速日命は深い関係がありますし、そういうことでここが一乃矢にされたのかもしれません。なお二之矢塚は少し北の矢田坐久志玉比古神社の境内にあります。三之矢塚はさらに少し北の畑の中にあってなぜか邪馬台国想定地とされていますが、これは稲塚と久志玉比古神社の位置から計算で場所を決めたのかもと私は疑っています(笑)
| 名前 |
一之矢塚(饒速日命伝承地) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)主祭神 久志玉比古神(櫛玉饒速日命)御炊屋姫命(ミカシキヤヒメ)当社の詳しい創建年代は不明であるが、当社の祭神である櫛玉饒速日命は、天磐船に乗って空を飛んだと先代旧事本紀に記されている。その際に櫛玉饒速日神が天から放った1本目の矢が落ちた所に石碑が置かれている。また、これによってこの地を矢田というようになったという。Wikipedia引用。