旧大和川跡で歴史探訪を。
旧大和川堤防跡(旧玉櫛川)の特徴
大和川の川筋に残る貴重な史跡です。
江戸時代の歴史を感じられる場所になっています。
周辺の御野県主神社とも連携した文化的スポットです。
府立八尾高校の構内にも旧大和川堤防跡がある。
江戸時代の1704年(宝永元年)に玉串川と長瀬川に付け替えされる前まで、大和川の川筋は4kmほど南の二俣付近で二つに分かれており、その分流がこの地を流れ、川幅は200m近くもあったそうです。本殿の裏手の小高く盛り上がっている箇所がかつての堤防です。現在は木々が生い茂っており、中々雰囲気のある場所です。昨年春に訪れた際、野鳥がたくさん棲みついていたようで、辺りは閑静な住宅街なのに、ここだけは、けたたましいくらいの鳴き声がしたのが印象に残っています。
東側の旧道との高低差は2.5m程になる。旧大和川三日月湖まで残存しているのが興味深い。御野縣主神社の境内には、社殿の西側に63mにわたって、旧大和川の堤防跡が残っています。宝永3年(1704)の付け替え前の大和川の川筋は、二股付近で二つに分かれており、その分流の一つが現在の玉串川です。現在の玉串川の川幅は神社の西側付近で5m位ですが、付け替え前の川幅は200m近くもありました、この堤防跡は旧玉串川筋の東側の堤防の跡になります、江戸時代の初めには、川底がまわりの土地より高い天井川となり、たびたび堤防が切れて、洪水の被害をもたらすようになっていました、このため今米村(現在の東大阪市)の庄屋、中甚兵衛らの尽力により宝永元年に付け替えが行われ、現在の大和川の川筋となりました。御野縣主神社の境内に残る旧大和川の堤防跡は、付け替え前の大和川の様子をしのぶ貴重な史跡になっています。また、堤防跡の南東側には、上水道の整備が行われる以前に天井川となった玉串川の湧き水を簡易水道として利用するため、上之島の人々が設けた親井戸の跡も残っています。平成16年6月 八尾市教育委員会。
まず思うのは、よくぞ残ってくれたということ。いまある玉串川はか細い糸のような川だが、江戸時代ここには大河が流れていた。旧大和川、玉櫛川である。小高く盛り上がった薄暗い森はわずかだが、今でも当時の堤防を思い起こすことができる。大阪にとって貴重なる資産のひとつだろう。
河内山本 玉串川 桜 3分咲き。満開時は凄いよ‼️。
ここにしかない史跡です。
御野県主神社の西の部分、正面は東側なので神社の奥の方、横方向に一段高い場所は昔の旧大和川の支流、玉串川の堤防の名残になります。元の大和川は柏原市より八尾、東大阪市へと河内平野を流れて半沼地の感じだったそうです、江戸時代、時の庄屋、中甚兵衛が苦労の上、幕府の許可得て柏原市から西の方角、堺市へと大和川を付け替え、支流になった長瀬川及び玉串川と河内平野の新田開発を成し遂げました、その当時の大和川の堤防跡です、今は緑に生い茂る鎮守の森の様に見えています。
| 名前 |
旧大和川堤防跡(旧玉櫛川) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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小高い丘に、なっています。草木が生えていて昔の面影はよく分かりません。