下田の弁天島に、窪田空穂の歌が響く!
窪田空穂 歌碑の特徴
吉田松陰七生説の碑と隣接する歌碑です。
歌人・窪田空穂の作品に触れられます。
弁天島入口に位置する歴史的な場所です。
『吉田松陰七生説の碑』と『金子重之助顕彰碑』の手前に建てられた歌碑です。歌を詠んだ窪田空穂は歌人であるとともに国学者としても有名な方です。大正9年秋、柿崎弁天島に訪れた折、窪田空穂が吉田松陰先生を偲んで歌を詠んだそうです。石碑には「心燃ゆるものありて踏む夕波の寄り来て白き柿崎の浜」と刻まれています。この「心燃ゆるものありて」とは、吉田松陰先生や弟子の金子重輔の踏海の企てに思いをはせたものと伝わっています。下田の潮風と強い日差しで刻まれた歌は読めなくなっています。でも、黒船ペリー号への踏海の企てから5年後に吉田松陰先生は30歳の若さで、弟子の金子重輔はこの企ての翌年25歳で獄中に没しています。そうした事を思うと、読めない石碑から歌を詠んだ歌人の気持ちが伝わってきます。
| 名前 |
窪田空穂 歌碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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📍窪田空穂 歌碑(下田市・弁天島入口)ここには 歌人・窪田空穂(1877〜1967)の歌碑 が立っています。大正9年(1920年代頃)に窪田空穂が 下田・柿崎の弁天島を訪れ、吉田松陰を偲んで詠んだ歌 の一首が刻まれている碑です。詠まれた歌は、白波寄せる浜の情景と、松陰や金子重輔ら幕末の志士への思いが込められています。 歌碑は 弁天島入口の海沿いエリア にあり、弁天島の自然や歴史スポット巡りの一部として立ち寄れる場所。海風を感じながら、歌人が感じた風景と歴史ロマンを共有してみてください! 🎨 歌の一部(碑文)「心燃ゆるものありて踏む夕波の寄り来て白き柿崎の浜」 — 松陰らの志に思いを馳せた一首です。 (2026年1月現在の情報)