磐田の歴史が息づく、旧田中神社。
御殿一本松遺跡(田中神社 旧所在地)の特徴
御殿一本松遺跡は田中神社の旧社地で歴史的価値があります。
磐田市中泉にあるためアクセスも良好で訪れやすいです。
遺跡を訪れることで地域の歴史を感じることができます。
御殿とは、徳川家康が造営した中泉御殿のことです。中泉にはもともと高天神城攻撃のための拠点がありました。鷹狩好きの家康は、獲物が多かったこの大池を臨む地に伊奈忠次に命じてほぼ城郭といっていい規模の邸宅を建設しました。御殿は天正15(1587)年に完成しています。一本松は、中泉御殿の南にあった「手長神木」が立っていた場所で、『中泉八幡宮領絵図』にも描かれています。また、小字「一本松」という地名が残っていました。現在の一本松は植え替えられたもので、新幹線建設の際に若干場所が移動しているようです。御殿の範囲は、おおよそ駅南のファミリーマートのある通りからこの一本松あとまでと考えてよさそうです。往時は、このすぐ南に大池の畔がせまっており、数多くの野鳥が集まっていたのでしょう。家康は21回、中泉を訪れていたことがわかっているそうです。
| 名前 |
御殿一本松遺跡(田中神社 旧所在地) |
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| ジャンル |
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| 評価 |
2.7 |
| 住所 |
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御殿一本松遺跡(旧田中神社所在地)所在地 磐田市中泉訪問日 2024/1/19現在、磐田市中泉石原町に位置する「田中神社」の旧社地になります。田中神社は、平安時代の延喜式神名帳にも名が刻まれる磐田郡十四座の一座です。一説には、敏達天皇四年(西暦575年)の創建とも伝えられる中遠地区を代表する神社です。もともとは、この遺跡あたり磐田市御殿にあり、田園の中の「手長森」「田中の社」に鎮座されていました。江戸時代の享保2年(1717年)に、水害を避けるために石原町に移ったとの事ですが、遠江国風土記によれば、徳川家康が中泉御殿を築いた際に神社を移転奉還したとの記載もあります。現在、田中神社は府八幡宮の末社になっていますが、国府八幡宮の神官であった「秋鹿氏」はもともと中泉に屋敷を持ち、徳川家康に献上した経緯があります。この時の縁から、田中神社が合祀されたのではないでしょうか?