孝謙天皇の歌碑、心に響く伝承。
孝謙天皇 歌碑の特徴
孝謙天皇の和歌が刻まれた貴重な歌碑です。
奈良市に位置する歴史的な石彫作品となっています。
見る価値のある文化財で、訪問者を魅了します。
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此里者 継而霜哉置 夏野尓 吾見之草波 毛美知多里家利孝謙天皇 巻十九 四二六八(書き下し) この里は継(つ)ぎて霜や置く夏の野に 我が見し草はもみちたりけり。
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| 名前 |
孝謙天皇 歌碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
2.5 |
| 住所 |
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孝謙天皇(称徳天皇)の和歌が刻まれた歌碑です。この歌碑は、奈良県奈良市の西大寺境内に設置されています。秋に撮影したので、歌碑の後ろには赤いもみじが写っています。万葉集巻十九 4268番が刻まれています。「此里者 継而霜哉置 夏野尓 吾見之草波 毛美知多里家利」。読み下すと、「この里は 継ぎて霜や置く 夏野に 我が見し草は 紅葉(もみち)たりけり」。現代語訳をすると、「この里にはもう霜が降りるのだろうか。いや、夏の野原で私が見た草が、もうすっかり紅葉してしまっていることだ」となります。夏の草がまるで紅葉したかのように見えるという情景を詠んだ歌です。季節感のずれが歌われているのです。本来、紅葉は秋の風物詩ですが、この歌では夏の野草があたかも紅葉しているように見えた、という驚きや季節の移ろいを感じる心情が表現されています。この歌は、『万葉集』の原典においては作者名が明記されておらず、伝承や解釈によって作者が異なっているため、西大寺の歌碑のように「孝謙天皇(称徳天皇)」の歌とされる場合があるのです。詳し過ぎるかもしれませんが、ここには記すことにします。万葉集における記載を書いておきます。『万葉集』の当該歌には、作者名が記されていません。代わりに、歌が詠まれた状況として「藤原仲麻呂大臣の家に幸(いでま)しし時、沢蘭(さわあららぎ)を分かち賜ひし歌」という詞書(ことばがき)が添えられています。 沢蘭とはさわあららぎという植物で、藤袴(ふじばかま)というほうがが七草のひとつでわかりやすいでしょうね。淡い紫色や白い花を咲かせます。「解毒」「鎮咳」「去痰」「降圧作用」のある薬草で、夏の終わりごろには黄葉するのです。植物にこだわりましたが、貴族や天皇の生活が見える化をねらって書きました。西大寺は称徳天皇(孝謙天皇が重祚した後の名)の勅願によって創建された寺院であり、天皇ゆかりの地です。この歌碑は、孝謙天皇が光明皇后とともに藤原仲麻呂の邸宅を訪れた際に詠んだ歌であるという有力な説に基づいています。この解釈は、歌の内容(夏の野の草が霜が降りたように黄葉しているのを見て、季節の移ろいや人生の無常を感じる内容)が、権力闘争の渦中にあった孝謙天皇(後に称徳天皇)の心境を表していると捉えられたことにも由来しています。西大寺では、この歌を孝謙天皇の御歌として顕彰しているのです。大伴家持が実際は作っているかもしれません。歌詠みの仕事がありました。偉い人に変わって良い歌を作る仕事です。添削をした可能性が高いでしょうね。額田王などにもそういうところがあります。結論です。西大寺の歌碑に孝謙天皇(称徳天皇)の物だと書かれているのは、その歌が天皇の作であるという有力な伝承や解釈に基づいているためです。万葉集には作者が不明な歌も多く含まれており、後世の解釈や研究によって特定の人物に比定されることがあります。したがって、どちらもが正しい情報源に基づく解釈であり、矛盾するものではありません。西大寺という場所には、ただの歴史とは別の、もう少し深い層の何かが流れています。わたしには見えないし、見えたと言い張る気もない。けれど、ときおりここを歩くと、萬葉の時代へ音もなく引かれていく瞬間があります。それは幻想かもしれないし、単なる錯覚かもしれない。でも、ふっと胸をかすめたものを、わたしは否定しないでおこうと思いました。あの境内には、時おり独り言を叫ぶ女性がいます。彼女のことを書き立てるつもりはない。ただ、彼女が見ている“風景”は、わたしたちが正常だと思い込みながら見落としている場所につながっているのかもしれない。視界に薄い膜のようなものがはまっている人——コンタクトレンズを裏返しにつけてしまったみたいに——そんな目には、何も映らない。西大寺は、人によってはただの古い寺院です。でも、ある人には、千三百年前の息遣いがほのかに降りてくる。その境界線のあたりに、わたしはしばし佇んでしまうのです。