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| 名前 |
近藤玄瑞邸跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
近藤玄端邸跡(こんどう げんずい ていあと)所在地 磐田市森本1017訪問日 2023/7/21屋敷跡は、県道竜洋豊田線赤池ガード北側になります。大木と雑草が生い茂る広大な屋敷跡に石碑が建つのみでした。「近藤玄瑞」(1749〜1807)江戸時代中期〜後期に活躍した医師。寛永2年(1749年)6月27日生まれ。遠江国豊田郡森本村に生まれ、医を父・玄碩(げんせき)や味岡三伯(あじおか さんぱく)に学ぶ。漢学に通じ、和歌・狂歌にも堪能であった。寛政の頃の著『遠淡海記』は、内山真龍(うちやま またつ)の『遠江風土記伝』に劣らなかったという。医学・文学に優れているばかりでなく、尊王の志しが高く、幕末の志士ともよく関わったといわれ、特に蒲生君平(がもう くんぺい)との親交が深かった。