続日本百名城、土浦城の魅力。
土浦城跡の特徴
土浦城は室町時代に築かれ、江戸時代にも増改築された城跡です。
亀城公園内には現存の東西櫓と櫓門があり、静かな佇まいを楽しめます。
続日本百名城に認定されており、スタンプも東櫓で押せます。
城跡というよりも公園。サル園があったり遊具があったりで長閑。こういう城跡の使い方は非常に良いものだと思いました。
日曜午前中攻城散策者略いない水堀も城跡内はきちんと整備されていてとても好印象もっと市民の憩いの場になればいいのになぁー、感じつつ散策現存する太鼓櫓の梁に感動を覚える。
佐竹、上杉、北条の支配をうけた歴史を持つ標高2m位の平城で南方から西方は沼地のため土塁をめぐらし東は浦が開け北方は5本の掘割、まさに洪水時には水に浮かぶ浮き城だったようです。昭和13年には大水害に見舞われ水没したと聞きます。(桜川氾濫と浦の逆流)土屋氏が藩主となってから徳川将軍五〜八代に老中を努めた政直(相模守)を輩出。農政、治水運など発展に尽力しました。復元された東西の各櫓は立派な鯱鉾を上げ、武者走り土塀に開いた鉄砲、矢狭間も特異性がありますね。東櫓は内観料200円、資料館入館料もこのチケットに含まれてました。
水堀♬土塁♬櫓門♬霞門♬が現存👍旧前川口門は移築現存👌他東櫓♪西櫓などが復元案内図🪧に説明板🪧がいくつかあってわかりやすい城跡でした。
築城が室町時代にさかのぼるという歴史ある城。江戸時代には土浦藩の城となりました。天守はないものの、二重の堀に囲まれ、本丸御殿と東西の櫓を有する立派な構えの城だったようです。本丸御殿はその後焼失して今はありませんが、櫓門と霞門の二つの門が今も残っています。また東西の櫓も復元され、城の風景を取り戻しています。東櫓は内部が公開されています。土浦市立博物館の分館という位置づけで、料金は博物館と共通で200円。内部は城についての様々な展示があるほか、上層からは公園や市街地などの眺めが楽しめます。
城としては小さいですが、良く整備されています。
続日本100名城巡りで訪問。霞ヶ浦に隣接する立地から「亀城」の別名を持つ土浦城ですが、現在は「亀城公園」として綺麗に整備されています。江戸時代の面影を残す櫓門は必見。室町時代から続く歴史の深さと、譜代大名の城下町としての格式を感じられるスポットです。本丸・二の丸跡を歩きながら、当時の姿を想像するのが楽しい場所でした。
土浦城跡(茨城県指定史跡)は、JR土浦駅の北西1.1kmほどの茨城県土浦市中央にある城跡です。現在は亀城公園として整備されています。土浦城は、永享年間(1429〜1441年)常陸守護・佐竹氏の一族である若泉三郎が築いたと伝えられています。当時の土浦周辺は霞ヶ浦の湿地帯が広がる低湿地であり、城は自然の泥濘や水路を防御に活用した「平城」として設計されました。戦国時代には、小田氏の支配下に入りますが、佐竹氏や北条氏といった強大勢力の争奪戦の舞台となります。最終的には北条氏の勢力下に入りましたが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による「小田原征伐」で北条氏が滅亡すると、土浦城も開城しました。同年、徳川家康の関東入封に伴い、家康の次男・結城秀康が入城しました。江戸時代に入ると、土浦城は江戸防衛の拠点および水戸街道の宿場町を管理する重要拠点として整備されます。慶長年間(1596〜1615年)常陸土浦藩の初代藩主・松平信一によって本格的な近世城郭へと改修されました。寛文9年(1669年)土屋政直が入封し、以後、土屋氏は一度の中断(1682〜1687年)を経て、幕末まで約200年間にわたり城主を務めました。土屋氏は9万5千石の大名として土浦の発展に尽力しました。この時期、度重なる水害に見舞われながらも、城が水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから「亀城」と呼ばれるようになりました。本丸、二の丸を堀が幾重にも囲む構造は、水郷地帯ならではの堅牢さを誇りました。幕末、土浦藩は当初から徳川譜代として幕府側を支えましたが、最終的には新政府側に恭順し、戦火を免れました。明治時代の廃城令により、多くの建物が取り壊されましたが、太鼓櫓門(現存する唯一の櫓門)や霞門などは破壊を免れ、当時の面影を今に伝えています。明治32年(1899年)には、旧本丸・二の丸跡が「亀城公園」として整備され、市民の憩いの場となりました。土浦城には、隅櫓は東西2つありましたが、古写真や図面を元に、西櫓は平成2年(1990年)に復元され、東櫓は平成10年(1998年)に復元されました。東櫓の内部は土浦市立博物館の分館として公開され、土浦藩の歴史資料を展示しています。春には約70本の桜が咲き誇り、お堀の水面に映る櫓の姿は、かつての水城の威容を静かに物語っています。『櫓門(茨城県指定史跡)』は、関東地方で唯一、江戸時代から現存する城郭門として非常に高い歴史的価値を持っています。土浦城の創建は室町時代の永享年間(1429~1441年)と伝えられ、江戸時代には土浦藩の政治の中心地となりました。櫓門は本丸の正門として、明暦2年(1656年)土浦藩主・朽木稙綱(くつき たねつな)によって改築されたのが現在の姿の原型です。その後、元禄から享保年間にかけて大規模な修理が行われ、現在に至ります。この門は、1階部分が通路、2階部分が櫓(物見や武器庫)となっている「櫓門」形式です。2階には太鼓が置かれ、時刻を知らせる役割を担っていたことから「太鼓門」とも呼ばれています。屋根は切妻造の瓦葺きで、質実剛健な東国らしい構えが特徴です。
コンパクトな本丸ですが、櫓門(太鼓櫓)や霞門など現存する建造物があり、復元された2棟の櫓と土塀もあるので立派な城跡だと感じました。東櫓の展示館では、土浦城が甲斐武田家の家臣、土屋昌続・昌恒兄弟と関係のある城だと知り大変学びになりました。
| 名前 |
土浦城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
訪問日:2026/08/08(土)手段:バイク目的:日本100名城/続日本100名城続日本100名城No.113 土浦城バイクは土浦市立博物館の入り口の脇にある駐輪場に置かせて頂きました。スタンプは東櫓の受付の横に置かれてました。博物館と東櫓のセットで200円でした。安いと思います。