ひっそり佇む粟神社の風格。
粟神社の特徴
国道沿いに佇む簡素な神社です。
小規模ながらも、式内社という歴史を感じます。
ひっそりとした空間で心を落ち着けられます。
国道沿いの簡素な神社です。
粟神社(あわじんじゃ)と読みます。307号線からの出入りに注意が要ります。神社内はとても、こじんまりした感じです。
小規模の神社ですが式内社の風格があります。
幹線道路沿いに ひっそりと佇む小さな神社。 入り口の石柱には 式内とあった。 ということであればかなり由緒のある 神社ということになる? 車1台ぶんの 駐車場がある。
| 名前 |
粟神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
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粟神社(あわじんじゃ)。京都府城陽市市辺大谷。式内社(小)、旧社格不明。【祭神】粟神【関係氏族】粟直(あわのあたひ)資料によると、社伝によれば、孝安天皇の御代、平間山の麓の百舌ヶ原(現在地不明)に少名彦名尊と高御産霊神が、一柱は椎の木に、一柱は榊の木に降臨し、乙足彦連という人物に「我を祀れ」と夢のお告げがあったので、探してみると椎の木の下に粟の穂が、榊の木の下には稲穂が生えていたので、そこに社殿を建てて祀ったと伝えられています。また、元は東方800mほど、青谷川の上流側の「松尾」というところに鎮座していたと伝えられています。そして少彦名尊は当社に、高御産霊神は旦椋神社にて祀られたとも。一方で当社を粟直氏が奉斎した社とし、その祖神を祀ったとするのは「神社覈録」。粟直は粟国造家であり、阿波国の北部にあたります。「先代旧事本紀」国造本紀には、高御産霊神の九世孫 千波足尼が初代国造になったとあります。続記には宝亀七年(776年)に粟直姓を賜ったとの記載有り。少彦名尊は高御産霊神の子とされているため、当社古記録は一応整合性が取れているとみなせます。一族が当地にも拠点を構えたということになるでしょうか。なお、市辺の集落はかつて当社の鎮座地付近にあったものの、青谷川の氾濫により下流側へ移転したと伝えられています。神社はこの地に残されていますが、今や集落から離れた森の中の小さな神社となっています。とあります。