しっかりと残ってる橋脚跡。
しっかりと残ってる橋脚跡。
車でアプローチするには難しいので徒歩、自転車でくるのがおすすめ。
明治時代の鉄道跡です。
昔の橋台🙄遺産レベルだね❗
煉瓦積の保存状態がかなり良く、説明看板も確りある。
場所柄、若干駐車には難で道も狭く橋台自体が死角となるので御用心。
旧線跡に停められるだろうが鉄道系に拘る方が撮影するなら停めた自車が入る上に、車以外では中々到達が厳しい場所に在る。
当橋台以外にも橋台の煉瓦が川側にも残る場所有。
航空写真と可能なら明治大正期の古地図を参照しつつ、南の分岐点の築堤と小鉄橋、その北の道路、当地点とその北の小橋台の残る並木、川向うの道、更に北の現道路の傍、その先の名残らしき店舗の駐車場含む敷地の形状等も参考にすると良い。
経路検索候補の一つである、北側から亀崎橋経由の四輪車輛での移動は強目の非推奨。
一方で亀崎橋からは旧線含めた全景が観られる。
但し先程の難点、撮影をするなら停めた自車が映り込む事にはなる。
旧総武鉄道の遺構ですが、橋台のそばは駐車できないので、現総武本線側を左折したところに、ようやく隅に駐車出来るかなというほど、農地の中にあります。
鉄道ファンや土木ファンや建築ファン、文化財ファン、さらにはオランダレンガ積み橋台専門ファンまでもが魅力される、人民の人民による人民の為の橋台である。
鹿島川[物井川(別名・旧呼称)]に架かっていた橋の遺構です。
かつて総武本線(旧総武鉄道)が敷設されていた軌道用の橋で,複線化・電化された現在は隧道のあるルートに変わり,廃線・廃止になりました。
軌条は撤去され,盛土も今はだいぶ崩れてしまったものの,電車の車窓から分岐している様子はまだ窺えられます。
明治時代に市川・佐倉間に総武鉄道が建設された当時は,掘る費用・時間を節約するため,計画にはあったトンネルを止め,里山や寺崎台の麓沿いの民家敷地内に,半ば強引に線路を敷設していったそうです。
電化までは,客車を牽く蒸気機関車や気動車が物井駅を出ると旧ルートの田園地帯を進行し,寺崎台の麓を回り込み佐倉駅に向かっていたのです。
蒸気機関車が廃止された後,総武本線・成田線が全線電化までの間は,新ルートをジーゼル機関車が客車を牽いて運行しており,暫くは113系成田行き快速電車,旧111系電車,気動車編成の列車,吊り掛け駆動の茶色い電車などバラエティに富んだ列車が,この区間を走っていました。
昔の総武線の線路跡です。
鹿島側の流れも今とは異なっていました。
名前 |
総武鉄道物井川橋梁亀崎橋台跡(四街道市指定文化財) |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.0 |
夏は草が大量に生えるので冬に行くことをおすすめします。
橋梁はレンガ造りで趣があります。