あまり讃えられていないようだ。
川崎宿にあった三つの本陣(大名や公家専用の大旅館)の一つ。
別名、惣左衛門本陣といわれ、門構え、玄関付、181坪の建物だった。
幕末には14代将軍家茂が、京に上る際に宿泊したことでも知られる。
平成19(2007)年に佐藤本陣跡の解説板が設置された。
大正時代に活躍した詩人で歌謡曲の作詞家としても有名な佐藤惣之助は、代々本陣職を務めてきた佐藤家の生まれ。
本陣跡の向かい側、川崎信用金庫本店前には昭和54年(1979)に生誕の地記念碑が建てられ、円鍔勝三氏による彫像と嗣子・佐藤沙羅夫氏による揮毫の『青い背広で』の詩が刻まれる。
東海道53次の2番目の宿場街であった川崎宿に3つあった本陣の中の1つ。
別名、惣左衛門本陣といわれ、14代将軍家茂が京に上る際に宿泊しました。
明治23年(1890年)、詩人佐藤惣之助がこの家で生まれました。
元川崎宿の中にあります。
今は何もありませんが、看板があります。
六甲おろしの作詞をした人なんだが、あまり讃えられていないようだ。
碑と説明板があり、説明板には下のように書かれていました。
詩人佐藤惣之助は明治二十三年十二月三日に生まれ、昭和十七年五月十五日に五十二才で世を去った。
生家は川崎宿の上本陣佐藤家で、現在位置の北隣の砂子二丁目四番地がその旧地である。
惣之助は、大正、昭和初期の詩壇に雄飛して数多くの珠玉の名編を世に出し、不滅の地歩を築き、また「詩の家」を主宰して詩友と交わるとともに多くの後進の指導育成にあたった。
さらに俳句・歌謡・小説・随筆にすぐれた業績を残し、釣・義太夫・演劇・民謡研究・郷土研究・沖縄風物の紹介など、趣味の世界における多方面の活躍も驚くべきものがある。
歌謡作詞では「赤城の子守唄」「人生劇場」「新妻鏡」「男の純情」「青い背広で」「湖畔の宿」「人生の並木路」「すみだ川」など、人々の胸をうち、心に通う歌詞の故に今もなお愛唱されている不朽の作品が多い。
ここにその事績を慕う郷党ら相集い佐藤惣之助生誕地記念碑建設委員会を組織し、市内在住の彫刻家の巨匠円鍔勝三郎に嘱し、惣之助の肖像と、嗣予佐藤紗羅夫氏の揮毫になる「青い背広で」の一部を銅碑に彫出して掲げ、記念とする。
名前 |
佐藤惣之助生誕の地 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.4 |
川崎信用金庫本店の場所が佐藤惣之助の生家があったところです。