名前 |
傍示本城址 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
歴史:鎌倉末期の正中元年(1324)、北条雅時の家臣・加藤安俊が築城した城。
後醍醐天皇の代には、尾張・三河国境を示す「傍示(ほうじ)」が建てられ、一帯は傍示本と呼ばれるようになった。
天文年間(1532~1555)までは加藤家の居城であったが、その後岩崎丹羽家の勢力下となる。
小牧・長久手合戦の際、傍示本城主・丹羽氏重は、岩崎城主の兄・氏次が小牧山へ出陣したため岩崎城の守備に就き、岡崎攻略隊の池田勢・森勢と交戦して討ち死にする。
合戦後、信長から追放されていた父・氏勝が隠居城として在城していたが、慶長五年(1600)、丹羽家は伊保城に転封となり廃城した。
現在:傍示本公民館前に石碑が建っているものの、城の遺構は何もない。
傾斜がある東側から観ると、それなりには見える。
マニア向けの城跡だと思う。