土塁と堀を伴った平虎口が残っています。
東郷平八の先祖の渋谷氏の城だったようですね。
Googleマップで「東郷平八郎の碑」があるのを知り、すぐさま城山公園に行ってきました。
見てみると東郷さんは、渋谷重国さんの一族みたいです。
そう考えてみると一族の「血」って凄い!
城山公園として整備保存されています。
大きな駐車場もあり、綾瀬市民の憩いの場になっています。
駐車場から公園に向かうと、まず大きな空堀が迎えてくれます。
滑り台など遊具が設置されていますが、かつての縄張の面影が随所で伺える、森で覆われた素晴らしい公園です。
歴史ある場所。
面影は少ないが、土地かうったいけてくる。
土塁と堀を伴った平虎口が残っています。
竪堀もあるとのことですが見つかりませんでした。
公園として整備されていますが、城跡としての遺構もよく残っています。
大銀杏の黄葉が綺麗で、銀杏の絨毯ができていました。
バラの季節も綺麗です。
ゆったり時間が流れてます。
▼このお城は、今の渋谷駅の地名の基となった場所です。
▼写真の中にもありますが、ここの谷はちょっとした湿地となっていて、棒を突き刺すと渋渋(シブシブ)と水が出ます。
そんな谷なので、この辺りを「渋谷」呼んだという地名説があります。
▼でも、この早川城は渋谷駅からは随分離れています。
それはこの土地名を取った豪族・渋谷氏の飛び領が今の渋谷駅の周辺にもあったことから、渋谷という名前が付いたという訳です。
(諸説あり)▼渋谷駅には渋谷城というお城があって、渋谷金王丸という義経やその母・常盤御前と関係の深い人物もいました。
詳細はまた別途渋谷城のところで解説します。
▼さて、この渋谷氏が有名になったのは、源頼朝の石橋山の戦い前です。
当時、この綾瀬市の隣の藤沢市辺りを領有していたのが大庭景親(おおばかげちか)。
大庭景親が伊豆で旗揚げをしたばかりの頼朝を襲う計画を持つことを、隣国で知った渋谷重国(しげくに)。
渋谷重国はこの早川城に引き留めていた近江源氏の佐々木兄弟を介し、この大庭氏の計画を頼朝側へ伝えるのです。
▼佐々木兄弟は石橋山合戦後、源氏の優秀な人材として平家滅亡・奥州征伐まで大活躍します。
▼そんな源平合戦話と、今の渋谷駅の地名の起こりをつなぐ早川城。
歴史というのは思いがけないところで繋がっているのですね。
#localguides#japanlocalguides#マイナー史跡 #早川城。
周辺に住宅地が迫って、雰囲気が変わってきたのが残念。
ここは、鎌倉開府前後に綾瀬付近に土着した中世豪族渋谷氏の居城。
東京渋谷区にある金王八幡宮の代々代々宮司渋谷さんとの同族らしい。
本丸跡と思われる場所に東郷平八郎碑が立っているが、元々渋谷氏同族で薩摩に下って改名し東郷となったと聞いている。
2020年1月10日 早川城址に行ってきました。
もう少し城跡として説明から欲しい。
歴史を感じることができる公園。
公園まで続くひろやま小路がいつもきれいにされており楽しく散歩をさせていただいています。
そして公園に着くとおおくの人たちがジョギングをしています。
空気も美味しく鳥の鳴き声も聞こえ大変いいところです。
主人のリハビリの為自然の清々しいなかで散歩に出掛けています。
日本庭園や薔薇庭園階段も有り足のリハビリにはとても良いと思っています。
時間は四倍位かかりますが😆
城郭がイメージできるくらい、城跡がしっかりと残って残っている感じでした。
斜面が切り立っているので、駐車場・城山こみちの方から行くのが良いでしょう。
城山公園内 早川城跡 35級 縄文土器 出土地質ナンバー170 相模原台地(相模の台地)目久尻川 近く 12枚投稿 ★神埼遺跡の人々と交流ありましたか?
名前 |
早川城 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0467-70-5637 |
住所 |
|
関連サイト |
https://www.city.ayase.kanagawa.jp/soshiki/shogaigakushuka/bunkazai/551.html |
評価 |
3.8 |
思った以上に広くて堅固な城です。
鎌倉時代の渋谷重国がいた城だそうですが、室町にかなり手が入れられている気がします。