隣接した公園名にもなっているのでナビでスイスイと思...
《王禅寺》この辺りではみんな知っている地名の王禅寺ですが、王禅寺と言うお寺がここにあるのを知っている人は意外と少ないのではないかと思います。
私も40年以上住んでいて、興味が無かったのもありますが、存在を知り初めて訪問しました。
訪問して立派なお寺なので、びっくりしました。
住宅地野中にある南門から入ると、急に自然豊かな別世界に入ります。
小さな池が有り、緑カメの大きいのがいっぱいいました。
さらに進むと仁王門が有り、ここまで来ると先ほどまでの住宅地を忘れます。
禅寺丸柿の原木が有り、禅寺丸柿は和菓子では知っていましたが、原木がここにあるのは知りませんでした。
西門から出るとすぐに王禅寺ふるさと公園に直結しています。
自然に囲まれて静かで少し神秘的な雰囲気が漂うお寺です🤔🏞禅寺丸柿の原木があり、柿生という地名はこの柿がこの地域で良く育てられたことからきています🧐✍️※禅寺丸柿(ぜんじまるがき)とは、 川崎市麻生区原産の柿の品種である。
別名、王禅寺丸柿。
不完全甘柿。
日本最古の甘柿の品種と言われている。
散歩しながら訪れたり、ちょっと地元の歴史に触れたりしたい人にはもってこいの場所です!😎✨
王禅寺は町名、隣接した公園名にもなっているのでナビでスイスイと思ったらあんなに細い道の奥に駐輪場が在るとは。
柿の木は葉もない時期でしたが、大きな銀杏が黄金色に輝いていました。
お寺さんの範囲が不明ですがやはり大きな立派なお寺さんなのかなぁ😃
お寺の王禅寺(お寺)はココ静か過ぎるほど静か。
荘厳新本殿より旧殿がかっこいい。
入り口が分かりにくくて西門から入りました。
攻略できてないので正門あるのかもよくわからない。
せんとくんの作者の鬼がいました。
オンア ロリキャ ソワカ。
日本最古の甘柿の品種(禅寺丸)が発見された寺。
小さい頃にお参りに行きました。
今は名前が変わっていてビックリ😨昔は、星宿山とは、呼ばずに王禅寺だけの名前でした。
仁王がいるのは、昔と変わらない部分です。
学生時代、この近くに住んでいたけど訪れたのは今回が初(15年以上経過)。
ランニングのついでに朝8時前に訪問。
入り口は意外とこじんまりしてて入って良いのか一瞬悩む。
入ったらthe御寺で凛とした感じ。
公園の一部でもあるので自然も多く心地よい場所でした。
檀家さんのためのお寺。
正しい寺名は星宿山 蓮華蔵院 王禅寺。
天平宝字元年(757年)に孝謙天皇の勅令により開基された由緒正しい御寺で東の高野山の異名で呼ばれた。
現在は山林に囲まれているが往時は高野山の様に堂塔が多く建ち並んだのだろう、新田義貞が鎌倉攻めを行った際に例に漏れず王禅寺で略奪を行い衰退してしまった。
王禅寺は日本で最初の甘柿を産出した場所でもあり、今も禅寺丸の原木が残り神奈川の名木100選に選ばれている。
室町時代、江戸城を築城した戦国時代の関東を代表する名軍師、太田道灌公が小机城を攻めた際に、道灌公を王禅寺の住職が陣中見舞いに訪れ禅寺丸の柿を差し入れた記録が古文書有ったりする。
第二次世界大戦の敗戦後政府の政策で寺の境内地が小作民に分配されたり市有地にされてしまい更なる縮小を強いられ細長い歪な参道を残すのみに成ってしまったが、今は今で豊かな森に囲まれた雰囲気も悪くない。
延喜21年(921年)に檜山されたという、真言宗豊山派の由緒あるお寺。
境内はだいぶ狭くなったとのことですが、池のある静かな森に囲まれており、厳かな感じがします。
また、本堂前には日本最古の甘柿の品種と言われている禅寺丸の原木があり、この木の存在から「柿生」という地名および駅名が生まれたといわれているとのこと。
立派なお寺です。
自由に入れますがあまり部外者に来てほしくない感じがしました。
犬は抱いて下さいと言われます。
甘柿の原木を見に伺いました。
ひっそりと、でも気持ちの良い空気が流れている所です。
気持ちの落ち着く清々しい素敵なばしょでした。
なんだろう。
少し固い印象ですね一般の参拝者はあまり考慮してないようなこれだけの規模を自由に参拝させていただけるのはありがたいのですが。
静かで良いお寺さんでした。
なかなか見事なお寺です。
観光地ではないですが、自由に入れます。
山門は一見の価値あり。
歴史を感じます。
2019年3月5日(火)pm15:10に梅の参道を思いだしふらりと訪れました。
2018年3月6日午後に立ち寄りました。
旧本堂へ続く山門の小道の梅が咲き誇り石造りの階段との景観がえもいわれぬ情緒を醸し出していました。
旧本堂と仁王門。
新しい本堂を囲む木々や石碑に眼をむける愉しさがたくさんあります。
風情があります。
2018.4FEB 蠟梅が見頃です。
日本最古の甘柿「禅寺丸」の原木があります。
旧堂はいつ作られたかわからないがなかなか見応えのあるお堂。
新堂も立派でこちらでお参り。
朱印受付などは特に設けてない。
頼めば書いてくれるのかな。
お参りをして御朱印を頂きたく訪れましたが、犬連れだったため「ここは公園ではありません」と言われ御朱印は断念。
お参りだけで帰りました。
とても素敵なたたずまいでしたが残念です。
因みにわ犬お断りの看板は目にしておりません。
毎日、早朝散歩に34年の年月を歩んで、まいりました尚、天気、には左右されません。
☆王禅寺川崎市麻生区王禅寺940真言宗豊山派の寺院。
星宿山蓮華蔵院王禅寺と号する。
この寺院付近一帯の地名にもなっている。
「東の高野山」とも呼ばれた。
寺紋は三つ葉葵。
日本最古の甘柿の品種と言われている禅寺丸が発見された寺として有名。
境内には原木が残っている。
創建の正確な年代は不明である。
慶安3年1650年成立の縁起『聖観世音菩薩略縁起』によれば、天平宝字元年757年、観音菩薩が孝謙天皇の夢枕に現れ「武蔵国の光ヶ谷戸という所に居る」と言われ、探索を命じられた結果、発見されたいう。
孝謙天皇の勅命で武蔵国都筑郡二本松で発見された一寸八分の聖観音しょうかんのんである金の像を祀り堂宇を創建したという。
寺伝によれば延喜17年917年高野山の三世無空上人が、醍醐天皇から王の命じた仏教を修行するに適した場所としての寺という意味の「王禅寺」の寺号を賜り、同地に改めて創建され、関東の高野山と呼せられ、東国鎮護の勅願寺となる。
延喜21年921年高野山の熊空上人により真言宗の寺となるという。
建保2年1214年に禅寺丸-柿が発見された。
等海上人で王禅寺の中興の祖(横浜市金沢区の称名寺の塔頭延命院の住僧)は 山中で寺院再建の用材捜索中に、等海上人が自生している「禅寺丸柿」を発見し、近隣の農家にも栽培を広めたとされる。
元弘3年1333年鎌倉攻めの新田義貞の戦乱の兵火を被り焼失。
建徳元/応安3年(1370年)再興された。
最盛期には、真言密教を修行する七堂伽藍(当時を偲ぶ絵図が残っていて、境内には多くの塔頭が示されている)を持つ学問寺として檀家を持たず、近隣の末寺36ヵ寺の本寺(大寺)として、末寺からの上納により運営されていた。
鎌倉時代、将軍より多くの寺領を寄進され、戦国時代には北条氏直から、銀三十貫を安堵された。
さらに江戸時代幕府より三十石の朱印与えられた。
徳川幕府の歴代の将軍(徳川家康を始めとし、後の13人の将軍)の位牌を奉り、将軍家より葵の御紋の使用を与えられた。
明治維新以前は、神仏混淆であった。
一時期は鎌倉八幡宮と八幡宮寺(明治の廃仏毀釈令により廃寺となる)の別当(総支配人)として掌握していた。
草競馬場の跡が一部現存し地名として、今でも地元の人の間で馬場と呼ばれている。
名前 |
王禅寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
044-966-5135 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
真言宗豐山派のお寺で星宿山蓮華蔵院王禅寺といいます。
御本尊は聖観世音菩薩です。
王禅寺は延喜二十一年(921年)に高野山第三世無空上人が醍醐天皇から「王禅寺」の寺号を賜り創建されました。
関東の高野山と呼ばれていたお寺になります。
王禅寺の前庭には樹齢四百五十年以上と伝えられる禅寺丸柿の原木があります日本最古の甘柿の木になります、これは「柿生」という知名の由来となったと言われています。
江戸時代には徳川幕府より三十石の御朱印状を与えられていて、徳川幕府初代将軍徳川家康公を始め後の十三人の歴代将軍の位牌を奉り徳川将軍家より葵の御紋の使用を許されていた。
お寺の周辺は王禅寺ふるさと公園になっています。