寺にある古い墓石が60cm位のが半分ほど埋没した写...
素晴らしい建物があります。
お墓参りに行きます。
六地蔵の大きさに驚かされます。
国府台で敗れた里見の生き残りの一族が先端まで逃げ密かに眠る場所、倒された敵方である北条家ゆかりのお寺が菩提寺。
何々島と名を変え何百年も昔から変わらずお世話になるお寺。
裏に流れるアスファルトで、隠された灌漑用の暗渠はこちらは匠堀など役人の名ではなく、狩野浄天に従い掘った為、浄天堀と呼びます。
狩野浄天夫妻のお墓は、昭和62年頃の地盤沈下で本家分家筋の墓が地面まで埋まる中、突然地中より現れ今も源心寺に祀られてます。
ここ源心寺には、江戸時代の古いお墓が多く残ってます。
大概、幼い娘、当時は七五三のいわれの通り、3歳までに多くは亡くなり、7歳の次の壁までになくなることが多くお墓として多く残ってます。
狩野浄天のお墓より古い墓を発見。
夫婦のお墓です。
旦那さんは元和ですので,家康が亡くなって3年後ぐらいに亡くなったみたいですね。
今年は除夜の鐘は中止みたいです。
書き置きの御朱印を頂きました。
奥様も親切に対応致して頂きました。
国府台で敗れた里見の生き残りの一族が先端まで逃げ密かに眠る場所、倒された敵方である北条家ゆかりのお寺が菩提寺。
何々島と名を変え何百年も昔から変わらずお世話になるお寺。
裏に流れるアスファルトで、隠された灌漑用の暗渠はこちらは匠堀など役人の名ではなく、狩野浄天従い掘った為、浄天堀と呼びます。
狩野浄天夫妻のお墓は、昭和62年頃の地盤沈下で本家分家筋の墓が地面まで埋まる中、突然地中より現れ今も源心寺に祀られてます。
ここ源心寺には、江戸時代の古いお墓が多く残ってます。
大概、幼い娘、当時は七五三のいわれの通り、3歳までに多くは亡くなり、7歳の次の壁までになくなることが多くお墓として多く残ってます。
仕事の途中で立ち寄りました。
とても綺麗な穏やかな場所です。
御朱印は書き置きですが綺麗な御朱印を頂けます。
突然の訪問にもご丁寧に対応していただきました。
歴史有る立派なお寺です。
お彼岸で沢山のかたがお参りに来ていました。
本堂の改装も終わり綺麗になっていました。
大晦日に行くといいでしょう。
除夜の鐘がつけます。
山号 西光山寺号 源心寺げんしんじ宗派 浄土宗※行徳浦安観音霊場33箇所25番開祖1611年行徳街道と内匠堀の間の広い寺域に建つ西光山安楽院源心寺は、行徳と浦安の歴史を語るうえで重要なお寺です。
源心寺にゆかりのある狩野浄天と浦安市当代島の開拓に尽力された田中内匠により、浄天堀または内匠堀と呼ばれる水路は、行徳と浦安に農業に適した水を運ぶために開削されました。
源心寺には、行徳と浦安の開拓に生涯尽力した浄天夫婦のお墓もあります。
また、境内にあるお不動様は高野大師作と葛飾誌略に記され、イボ取り不動として昔から知られています。
西光山安楽院源心寺は行徳浦安三十三所観音札所の25番札所です。
このページの先頭へ西光山安楽院源心寺永正年間(1504~21)この地に不動尊像を祀った安楽院という草案が建てられたといわれ、葛飾誌略には「安楽院地中なり、古き草庵にして、昔は今井金蔵寺末にて正念寺といふ。
源心寺建立有りしより地中となれり」とあります。
この源心寺の開山は徳川家康の帰依を得た、浄土宗増上寺の中興観智国師で、国師の父は天正18年(1590)北条氏照の家臣として、八王子城で戦死した由木左衛門尉利重です。
当時同じ八王子城で戦死した狩野一庵の子、狩野新右衛門は行徳に来住し、観智国師の教化に服して私財を喜捨(寄付)し、慶長16年(1611)新たに堂宇を建立したのが、この源心寺です。
新右衛門は浄天と号し、荒地の開発を行い田畑を開拓し、村人に耕作をすすめましたが、このとき当代島の開発に当たっていた田中内匠と協力し、鎌ヶ谷の囃水を水源にして南西に流れる大柏川から水路をとり、八幡の東部から行徳、南行徳を経て浦安に流れる大灌漑用水路の開削に当たりました。
この水路は内匠堀、また浄天堀といわれ、市川から浦安にかけて新田開発に、なくてはならなぬ大切な用水路となったのです。
浄天は寛永6年(1629)3月他界しますが、浄天夫妻の墓石及び専譽受心(浄天の娘か)によって建てられた供養塔は、共に市の文化財に指定されています。
境内にある六地蔵は、その内の五体が専譽受心の寄進によるものであり、向かって左から2体目が浄天菩提のために、また右から2体目は専譽受心が逆修として建立したものです。
平成14年10月市川市教育委員会西光山安楽院源心寺門前案内板より西光山安楽院源心寺 由来・いわれ源心寺開山は、徳川家康の帰依を得た浄土宗芝増上寺の中興観智国師です。
国師の父は北条氏照家臣として八王子城で戦死した由木左衛門尉利重です。
当時、同じ八王子城で戦死した狩野一庵の子、新右衛門(浄天)は、行徳に来住し観智国師の教化に服して私財を喜捨し慶長16年(1611年)に堂宇が建立されました。
現在の本堂は、平成12年(2000年)に再建されたものです。
西光山安楽院源心寺 歳時・みどころ境内にある不動尊は霊験あらたかなるイボ取り不動として往古より近郷近在に知られています。
1・5・9月の27日は護摩供を厳修、大晦日は、除夜の鐘をつく人達で賑わいます。
西光山安楽院源心寺内案内板より 抜粋・引用および参考西光山安楽院源心寺門前案内板西光山安楽院源心寺内案内板房総叢書 紀元二千六百年記念 第6卷葛飾誌略。
この源心寺は50年くらい前には地盤沈下が社会の教科書に載っていたことがあります、寺にある古い墓石が60cm位のが半分ほど埋没した写真が載っていたのを記憶しております。
現在では整理されてそのような墓は見る事は出来ません。
(還暦近い地元民よりレポート)
車でこれるしなかなかでかいお寺です。
名前 |
源心寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
047-357-2423 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
敷地がとても広いのに綺麗に管理されているので、気分よくお参りに来れます。
本堂もとても大きいです。
墓地区画には「のうこつぼ」というマンションタイプのお墓もありました。
駐車場もあるので、車でお参りに来れます。