ちょっとした山登りです。
天台宗 神王山観音院 妙見寺 / / / .
稲城の町や電車を見下ろせる里山の上にあるお寺、ちょっとした山登りです。
京王稲城駅からは一度北口に出て、少し西に歩いたら線路をくぐり南側に出ると寺に続く道があり。
桜、フジ、紅葉…と季節の散歩🌸 駅北口の三沢川の桜も素晴らしい🌸✨
妙見宮と妙見寺の神仏混淆の寺院キツイ階段を登った先の絶景。
歴史のあるお寺でご住職も人格的にも立派な方で我が家の菩提寺として大変誇りに思っております彼岸の参詣日は好天、桜も満開で大変結構でした矢島。
稲毛三郎の菩提寺、稲毛神社との関係は、どのようなものでしょう。
御本尊に案内いただきました。
とても優しい住職さんでした。
本堂に掲げられたお言葉が刺さったので思わず写真を撮ってしまいました。
御朱印は印刷のものでした。
谷間にすぽっと入ったような丸い広場にお堂があります。
梅の花が美しい!
2019/8/10拝受 天台宗の寺院。
本堂へ上げて頂き阿弥陀さまと観音さまをお参りさせて頂きました。
多摩川三十四ヶ所観音霊場第30番札所の御朱印を頂きました!
お寺に入った途端、別世界に来たような気がしました。
神仏習合していて、奥の院も趣が深いお寺でした。
所在地t〒206-0804 東京都稲城市百村1588tT E Lt042-377-6324t交 通t京王・相模原線/稲城駅 徒歩5分t開 基t天平宝字4年 (西暦760年)t開 創t天永3年 (西暦1112年)t本 尊t阿彌陀如来、妙見菩薩寺の本尊は阿彌陀如来、他に観音菩薩を安置しており、多摩川三十四ケ所観音霊場巡り第三十番札所。なお、妙見寺の奥ノ院は北辰妙見尊が本尊。
※境内の建屋その他の配置は寺の様相であるが、門前に狛犬などを配する。
廃仏毀釈を免れた全国でも数少ない神仏混淆の寺で、古来の宗教施設の在り方を彷彿とさせる。
稲城市百村の蛇より行事この行事は寛文二年(1662)の春、諸国に疫病が流行した折に始められ、一時中断したことはあったが、以来疫病防止、降雨、五穀豊穣を祈願するため毎年欠さずに行われている。
毎年八月七日、北斗七星になぞらえた百村の旧村民(現在は「竪神社奉賛会」会員)の中から選ばれた七名が、萱場から萱を刈り出し、これを奉賛会の全員が集まって長さ50~100メートル程の大蛇の形に撚り上げる。
その後、妙見宮の階段に沿って置き、頭を山下の二十三夜塔の前に、尾は山上の社殿を取り巻くように安置する。
蛇体の製作に併行して、妙見宮の別当妙見寺の僧侶によって読経が行われ、完成した大蛇は僧侶から開眼供養を受け、一連の行事は終わる。
本行事では素材が萱という異色の大蛇がつくられる。
その長さは50メートル以上と巨大であり、その製作にあたって仏教儀礼が併行して行われるなど他には見られない特色を有している。
希少的な価値を持つ極めて珍しい民俗行事の一つである。
(東京都教育委員会掲示より)市、登録の石造物板碑●文和五年(1356) 完 弥陀 蓮台あり H66 W20.5 (市・板碑第152号)●文明十三年 下欠 弥陀三尊 善阿弥陀仏 H51 W21 (市・板碑第153号)●年号無 上下欠 十三仏 行尊,慶賢ら十ニ名 H52 W45.5(市・板碑第154号)●年号無 下欠 弥陀三尊 円光、蓮台は主尊のみ H48 W25.5 (市・板碑第155号)●年号無 下欠 弥陀 蓮台あり H31.5 W20.1(市・板碑第156号)(山門を入って左、鐘楼手前の石仏たち)地蔵菩薩塔●文化十三年 座像 蓮台 台石 H120 (市・地蔵菩薩塔第22号) (市・大願成就供養塔第3号)●年号無 立像 蓮台 六地蔵(六体とも首欠損) H36 (市・地蔵菩薩塔第32号)●年号無 立像 舟形 (個人墓か) H66 W34 (市・地蔵菩薩塔第38号)庚申塔●青面金剛庚申塔 板状駒型 日月 邪鬼 三猿「奉建立庚申供養」 「寛延四辛未十月吉日」(1751) の刻 H87 W30 (市・庚申塔第23号)●青面金剛庚申塔 八手合掌 唐破風笠付角柱型 日月 邪鬼 三猿 二鶏右「武刕多摩郡百村」「庚申待講中」 左「寶暦十二年壬午十月吉日」(1762) の刻 H103 W27 D18 (市・庚申塔第24号)※胸前の第1手が合掌、その下の第2手が宝鉢手、上方の第3手に矛と宝輪、下方の第4手に弓と矢。
多摩地方の8手像の特徴、都内ではみられない。
馬頭観世音塔●明治十四年(1881) 文字塔 角柱 台石 H(49) W25 D16 (市・馬頭観世音塔第10号)●年号不明 文字塔 角柱 台石 台石は後補か、全体に摩滅著しい H(55) W28 D23 (市・馬頭観世音塔第43号)●経典供養塔 享保十年(1725) 表 奉納六十六部供養塔 刻角柱 台石 H70 W16 D14 (市・その他の石造物第5号)●妙法塔 年号不明 表 奉納六十六部供養塔 刻自然石 H84 W39 (市・その他の石造物第20号)筆塚 歌碑●筆塚 文政六年(1823) 表 古筆塚 (詩あり)自然石 H218 W78 D9 (市・筆塚第4号)市指定文化財筆塚は書道の師や文筆家の功績をたたえて建てられる場合が多く、教育の記録として重要である。
この筆塚は文政六年(1823)に、文人であり書家でもあった百瀬雲元が、多くの門人たちの協力のもとに建てたものである。
銘文によると、菅原道真を祭る石祀とともに、廃筆を埋めた筆塚を建立したことが記されている。
百瀬雲元は宝暦十三年に百村の名主榎本六左衛門の二男(冨八郎)として生まれ、後年江戸に出て百村冨之進と改名し御家人となった。
そして書家の百瀬耕元に師事し、雲元と称して多くの門人を育てたといわれる。
天保二年に隠居して故郷の百村に移り住んだ。
百村の人々からは筆塚様と呼ばれて崇められ、学業成就の信仰を集めた(稲城市教育委員会掲示より)●歌碑 嘉永七年 表 詩自然石 台石 H118 W56 D9 (市・歌碑第7号)引用 〔稲城市の石造物(昭和50年頃)・稲城市の石造物続(昭和52年)・石造物と信仰(平6年)〕
桜の季節に訪れました。
高台にあるので眺望が良く、そして満開の桜はそれは見事でした。
山門をぬけると、広い境内で木々と山に囲まれたお寺です。
多摩川三十四観音の御朱印をいただくと「よろしければ、本堂の方へ」と案内され、本尊に手を合わせることが、できました。
住職の優しさにありがとうございました。
9月の半ば過ぎに訪れましたが、咲き始めた秋桜と彼岸花、シュウカイドウを見ることができました。
桜の季節に訪れました。
高台にあるので眺望が良く、そして満開の桜はそれは見事でした。
稲城市内にこのような立派な神社仏閣があろうとは思っておりませんでした。
お寺なのに、妙見宮を残し、現在まで神仏混淆の残る寺院、日本ではとても珍しいとのこと。
山に囲まれて静かな佇まいだ。
まだ紅葉には早過ぎましたが午後の西日が当たる頃に自転車で訪ねました。
地図で見ると京王相模原線の稲城駅からすぐのところにあります。
親切なご住職からご朱印を頂きました。
本堂に上がってお参りしますか?と聞かれました。
興味のある方はどうぞ、本尊をお参り下さい。
山門の手前の左に鳥居がありましたが、妙見宮だったようです。
珍しい神仏混淆のお寺です。
この時期は本堂の前のシュウカイドウが鮮やかに咲いてました。
天台宗多摩川三十四観音第30番札所平成24年10月11日参拝。
名前 |
天台宗 神王山観音院 妙見寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
042-377-6324 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
多摩川三十四ヵ所観音霊場の参拝でお伺いしました。
天台宗のお寺で神王山観音院妙見寺といい、観音霊場第三十番札所になります。
御本尊は阿弥陀如来で観音霊場の御本尊は聖観世音菩薩です。
妙見寺の創建年代は不詳ですが天平宝字四年(西暦760年)の創建とも、天永三年(西暦1112年)の創建とも言われています。
明治初期の廃仏毀釈の影響を受けることなく、寺地の小高い山の上に妙見宮を残し現在に至るまで神仏混淆の残る寺院です。
参拝した日は御住職に本堂に案内して頂き、お勤めをさせていただきました。