本多平八郎忠勝の父、本多忠高公の墓碑です。
大乗寺の北側にある墓地の一角に、ここでの戦で亡くなった徳川四天王の一人「本多忠勝」の父「本多忠高」の墓碑があります。
(本多忠高の父の忠豊もまた安祥城を巡る戦いの中で討死。
)いずれにせよ、本多家の松平家徳川家への忠誠心は目を見張るものがあります!そして、その墓碑は徳川家に特に貢献したものに許される大亀の上に墓碑が建てられています。
中国由来とも言われていますが、忠義功績を讃え、末永く後世に残ることを念じて建てられたのでしょう。
その通りに今でも讃えられてるんだから凄い効果だよね!でも、亀はもしかして亀趺(贔屓)なのかな?(中国における伝説上の生物で龍が生んだ9頭の神獣・竜生九子の一つで、その姿は亀に似ている。
重きを負うことを好むやつ)安祥山門大乗寺楼門の彫刻に亀のような伝説上の生物いたよ(写真ある)
亀に乗った墓碑は徳川に貢献したものにだけ許される形だそうです。
本多忠勝の父、本多忠高の戦死した場所に建てられたお墓です。
大乗寺の墓地内にあります。
でもお墓は他にもありますのでこれは記念碑みたいなものかもしれませんね。
ちなみに忠高は22才で戦死したのですが、その時忠勝はわずか1才だったそうです。
説明板がリニューアルされたようですので、写真を載せます。
名前 |
忠臣本多忠高公墓碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.anjo.aichi.jp/shisei/shisetsu/kyoikushisetsu/maibun-sites-tadatakabohi.html |
評価 |
4.2 |
本多平八郎忠勝の父、本多忠高公の墓碑です。
第三次安城合戰で、名誉の戦死を遂げた方です。
徳川家への、忠誠心、功績のあった者だけに許される、大亀の墓碑が、とても印象的です。
忠勝は、父忠高公、祖父忠豊公あっての人だと思います。
悲願であった、安祥城奪還を成し遂げたのは、本多忠高公や三河武士達の奮闘あっての事だという事を忘れてはいけません。
それらの積み重ねが、家康公の、天下につながる。忠勝の名声は、父忠高公、祖父忠豊公の、実績と忠誠の賜物だということを、忘れてはいけませんという事です。