階段のみの上り下りです。
赴きの 有る 神社です。
階段のみの上り下りです。
能登比咩神社のとひめじんじゃ石川県鹿島郡中能登町能登部下125甲29主祭神能登比咩神能登部神社と兄弟社能登比咩神社=妹宮、下宮能登部神社=兄宮、上宮能登比咩神社の方が能登部神社より上と考える能登部神社はその祖先を祀るだけ能登比咩神社は機織業を開発能登上布として全国的に要望あり。
式内社 能登國能登郡 能登比咩神社 (のとひめじんじゃ) 旧県社御祭神: 能登比咩神 沼名木入比賣命 (第10代崇神天皇の皇女である沼名木入比売命) 社伝によると、大己貴命が少彦名命とともに、国土経営を行い越の国(現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に相当する地域)を平定した後、当地で憩い給う時に国つ神を求め、一人の機織乙女に接待される。
その乙女が、当社祭神である能登比咩神。
沼名木入比売命は第10代崇神天皇の皇女で、崇神天皇が倭大国魂神をヌナキイリビメノミコトに祀らせた。
しかし、ヌナキイリビメノミコトの髪は抜け落ちて体も痩せてしまったため、倭大国魂神を祀ることが出来なかったと日本書紀にある。
社伝では、名木入比賣命は兄 大入杵命(能登臣の祖、ここより北東1.8kmにある能登部神社の祭神)に随って当地に下向し、能登比咩神の遺業を興し、郷里の婦女に機織業を教え能登麻織物の祖神と称えられたという。
当社の社殿後方の丘上が沼名木入比売命の墓と伝えられている姫塚(御陵山)と呼ばれる円墳があるという。
名前 |
能登比咩神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0767-72-3464 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.4 |
日本の神道は縄文人が信じていたアニミズムと、朝鮮半島から弥生人が持ってきた巫女教(シャーマニズム)が合わさったものとされる。
弥生時代中期、神の声を聞く巫女によって統治されていたクニがここにもあった。
富山県の姉倉の巫女(姉倉比咩)と戦っていて、出雲の大国主(大己貴命)によって仲裁(制圧?)された。
そして弥生後期、北陸はお諏訪様が統治する時代になっていく。
能登比咩の祖先も出雲からやってきたのか。
弥生時代の北陸の歴史は本当に面白い。