人々から新富士と呼ばれたそうです。
富士塚跡なんか良い♪
新富士は文政2(1819)年、幕府の役人であり、蝦夷地での探検調査で知られた近藤重蔵が自分の別邸内に築いたもので、高台にあるため見晴らしが良く、江戸時代の地誌に「是武州第一の新富士と称すべし」と書かれるほどであった、とあります。
めぐろ歴史資料館に行かなければ来ることもなかったでしょう。
富士山は見えないけど、見晴らしはよいところです。
目黒新富士は、上目黒一丁目の目切坂上にあった元富士に対して、文政2年に旗本の近藤重蔵が別邸内に築いた富士塚。
目黒新富士跡の隣接地からは、胎内洞穴と考えられる地下に作られた遺構が発掘調査によって発見され、御神体と考えられる大日如来像など出土したとのこと。
現在、富士塚は削られ、また発見された遺構は埋められており、現地には説明板があるだけですが、近くにあるめぐろ歴史資料館にて復元された遺構や大日如来像などの出土遺物を見学することができます。
別所坂の坂上に位置する。
江戸時代は「新富士」と呼ばれる富士塚があり、とても見晴らしが良かったらしい。
新富士は昭和34年に取り壊され、3つの石碑が近くの別所坂児童遊園に移されている。
雰囲気がいい。
江戸時代後期に幕臣近藤重蔵がこの付近の自邸内に富士塚を築造し、人々から新富士と呼ばれたそうです。
平成に入りこの付近の地下から祠や大日如来像が出土し「新富士遺跡」と名付けられたそうです。
今は再び埋め戻され、地中に静かに眠っているそうです。
このあたりは昔から富士山の眺めが素晴らしい景勝地で、1819年に幕臣の近藤重蔵が自分の別邸内に立派な富士塚を築造し、当時既に目黒にあった「元富士」に対してこちらは「新富士」と呼ばれた。
別所坂の上にある。
表示板のみ。
富士山は見えない。
名前 |
目黒新富士跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.1 |
今は富士山は見られないよね❗