町田街道沿いのこじんまりとした公園です。
市立南中学校の東側、町田街道沿いのこじんまりとした公園です。
この公園で休むとき「平和児童遊園」って変わった名前の公園だなといつも思っていました。
「平和」と言うのも「なぜ?」と思いますし、「遊園」と言うのも「遊園地」とか「レジャーランド」や「テーマパーク」の意味が強く、それにしては地味な公園です。
ここはスーパー三和で買物をした後などにちょっと休憩するのに最適な場所にあるのです。
特に夏などはこの公園は大きな木が多いので木陰に入るとすっと汗が引きます。
また春から夏にかけて花壇が整備され多くの草花が目を楽しませてくれます。
広場には古びてはいますがベンチが4脚、ブランコとシーソー、オートバイ型のスプリング遊具が2台、タイヤを半分埋めて馬跳び(タイヤ跳び)をする道具、回転遊具(スピン)1台、砂場が1面と水飲み場が設置されていて、時々子供たちが遊んでいます。
トイレはありません。
今日もこの公園で休んでいると、公園の由来を記した看板が建っているのに気が付きました。
それによるとこの公園はもともと大谷直治氏が土地を提供し、明治45年に日露戦争の戦没者の慰霊のための忠魂碑が建てられた土地でした。
(この場所は当時の南村(東京府南多摩郡南村)の中心地で付近には村役場が置かれていました。
)さらに昭和28年には第二次世界大戦などの戦没者の慰霊碑が建てられました。
つまりこの場所はずっと鎮魂と慰霊の場所であったのです。
日露戦争での日本軍の戦死者は8万4千人ロシア側は5万人でした。
さらに戦傷者は日本軍14万3千人ロシア側22万人が出ています。
そして第二次世界大戦では日本軍戦闘員の死者174万人非戦闘員の死者40万人に及びます。
(連合国側にも多大な犠牲が出ています)戦争のたびに本当に多くの犠牲者が出たのですね。
私たちは戦争の悲惨さを常に思い、犠牲者の冥福も忘れずに祈らなければならないのではないでしょうか。
その後この土地は町田市に移管され昭和47年未来を担う子供たちのための公園(児童遊園)として整備されたのです。
その際従来は戦没者の慰霊の土地であったことから世界の平和を願って「平和」の文字を入れたのです。
また南の文字はこの地が最初に南村の慰霊の地であったためです。
なお、従前建立されていた忠魂碑と慰霊碑は市内忠生の合同慰霊塔の庭内に安置されているそうです。
こうして「平和」の言葉の意味を知ってみると、世界では今なお戦禍に脅かされる多くの人々が確かにいるのですから、ここで平和な生活を送れる幸せを改めて考えさせられました。
名前 |
南平和児童遊園 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
042-722-3111 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.0 |
一本桜が綺麗で見頃でした。