立派な杉の木などを見て過ごします。
刈田嶺神社 (白鳥大明神) / / / .
随身門と拝殿とも彫刻がいい。
1827年(文政10年)、宮(この土地名)の商人、森久之助の出資で創建。
信心深く、かなりのお金持ちでないと建てられません😅彫刻は誰なのかは不明。
随身門の中央は鯉、拝殿の獅子の目は瀬戸?菊とひまわりのような花も彫刻されています。
立派な神社でした御朱印もいただきありがとうございました🙏
白鳥伝説の歴史ある神社です。
御朱印は書き置きのものを頂きました。
御朱印を頂きに参拝しました。
神職が不在の様で書置きが置いてありました。
不在の場合、書置きを置いて頂くと助かります。
蔵王町の神社です。
刈田郡の総鎮守との事で、立派な神社です。
拝殿の周辺には御神木の夫婦杉、日本武尊に関わる白鳥古碑群があるなど、色々と興味深い神社です。
赤い❗大きな鳥居‼️古くからある神社です🙆
友達と白鳥大明神のどんと祭に行って来ましたコロナ禍でしたが出店もありそれなりの賑わいがありました御参りとおみくじもして白鳥大明神からの御利益が得られれば良いと思います。
歴史ある神社。
拝殿は200年くらい前のもの。
狛犬さん、風化していますが、個性が光ります。
中の方に、壊れた狛犬さんが。
なにやら、ただならぬ雰囲気の狛犬さんです。
重厚な造りの随身門がすばらしい御朱印も頂きました。
本殿の裏に江戸時代に建てられた白鳥の石碑があります(白鳥古碑群)。
写実的に彫られていて見事です。
荘厳な雰囲気の中、手入れされた社殿が素晴らしいと思います。
こちらは、刈田岳にある山岳の神様ではなくて、日本武尊の白鳥大明神を祀っております。
ここら辺一帯には、白鳥伝説が数多く残されていることから、日本武尊の足跡が垣間見えてきます。
刈田嶺神社は、もとは神山・刈田嶺をまつる神社でした。
早くも平安初頭には国の保護を受け、重んじられていたことがわかっています。
はじめは青麻山頂にあったものが後にふもとに移され、さらに戦国時代中期に現在地に移されたと伝えられています。
また、いつの頃からかヤマトタケルノミコトをまつるようになり、ミコトと縁の深い白鳥をあがめる白鳥信仰の中心地として「白鳥大明神(しろとりだいみょうじん)」と号しました。
江戸時代には、刈田郡総鎮守として白石城主片倉家の保護を受け、社殿の造営などが行われました。
この本殿も江戸時代中期の享保3年(1718年)に片倉村休によって建てられたものです。
簡素な彫り物や飾り金具は、当時の神社建築の特徴です。
現在の屋根は銅版葺きですが、これは昭和天皇即位を記念して、それまでの屋根(茅葺きあるいはこけら葺き)から葺き替えたものです。
日本武尊の伝承のある神社です。
刈田嶺神社の方と違い、御祭神は日本武尊です。
楼門や社殿に風格があります。
名神大社と格の高い神社です。
御朱印戴きました。
【刈田嶺神社の由緒】 當社は延喜式内社明神大に列し、刈田郡総鎮守として、また、伊達家の家臣白石城主片倉家の祈願神社として古くから崇敬を集めた名社で、別号を白鳥大明神とも号した。
往古は大刈田山(青麻山)の頂に鎮座したが、延歴20年(801)西山の若宮に相殿となり、永正年間(1504~1521)現地に遷座された。
本殿は享保3年(1718)に片倉家により、拝殿と随身門は文政10年(1827)に宮の豪商森家により建築奉納された。
(案内板より抜粋)
立派な随身門に本殿!渋いながら重厚な佇まいで圧倒されました!立派な御朱印も頂けました!
名前 |
刈田嶺神社 (白鳥大明神) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0224-32-2615 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310010165 |
評価 |
3.9 |
とても静かで見ごたえのある社殿で訪れるとだいたい1時間、ひとりでゆっくり社殿の建築や周りの景色、立派な杉の木などを見て過ごします。
いつ訪れれてもわたし1人しかいませんがそれが心地よいです。
優しく迎えてくれる神社です。