外側から大体の様子を観察するくらい。
九段ハウス(山口萬吉邸) / / .
新潟県長岡市出身の財界人である5代目山口萬吉の私邸として1927年に建築。
強固な耐震性と当時流行だったスパニッシュ建築様式が歴史的価値を持つと認められ、2018年には「登録有形文化財」として登録されました。
関東大震災を経験した山口萬吉は、後に「耐震構造の父」と呼ばれる内藤多仲に感銘を受け、内藤の構造設計である壁式鉄筋コンクリート造を採用しました。
1945年の東京大空襲で多くの木造建物が焼失しましたが、九段ハウスは災禍から逃れ、ほぼ建築当時のままの姿で今なお歴史を紡いでいます。
また、アーチ、スパニッシュ瓦といった趣深い装いに加え、1階にはスクリーンポーチ、2階にベランダ、3階には屋上など、半屋外空間が多数存在し、四季を肌で感じることができます。
この貴重なレガシーを保存・活用するため、2018年に改修が行われ会員制ビジネスイノベーション拠点となった。
セッションやトークショー、ワークショップの開催時に参加しても、または建物の一般公開時にも見学は可能です。
九段下駅が最寄り駅ですが、飯田橋駅からでもそれほど遠くはありませんし、正面玄関は、飯田橋側に向いております。
現代アート作品として自然豊かな庭を拝見しました。
小さな庭園ですが、緑と石と木々が調和しており、とても癒される時間を過ごせました。
年に何回かのイベント時しか入館できないレア洋館。
マメにスケジュールチェックしていた甲斐あって念願叶いました。
ダイニングやテラスなど窓に面した部屋の床がお洒落で印象的でした。
庭も広くて雰囲気あるし、部屋数も多かったのでハウスウェディングとかに良さそう。
飲食系やアパレルの新商品イベントにも使えそうだし、何だか凄くワクワクする空間でした。
また、来たいです。
フリッツハンセンのイベントで初めて行きました。
とても趣きのある建物、庭で感動〜もちろん、フリッツハンセンの椅子やテーブルにも!
パビリオントウキョウ2021の石上純也さんの展示があったので、行ってきました。
完全予約制でゆっくりみる事ができました。
こちらのカフェも人気があり、今回は行けませんでしたが、イベントとのコラボ特別メニューを出されていました。
イベントが終わっても、こちらのカフェでお庭を眺めながらゆっくりしに来たいです☺️
イベントでお伺い。
旧い造りの屋敷を改装してイベントと食のスペースにリノベーション。
好きな人は結構好きかも知れません!
新潟県長岡市で財を成した商家の五代目である山口萬吉氏(1897~1977)の自邸です。
自宅を建築するにあたって二人の巨匠に依頼しました。
一人が内藤多仲氏(1886~1970)東京タワーを造ったことで知られる建築家です。
構造学者でもあります。
もう一人が木戸七郎氏(1884~1955)で関西を中心に多くの名建築を残した建築家です。
旧山口萬吉邸はこんな二人の建築家が手掛けた数少ない一般住宅として、大変貴重な存在になっています。
塀沿いの勝手口には旧住所の「麹町区~」の表札が掲げられています。
都心の一等地に建つ旧山口萬吉邸。
新たな試みとして運営を始めた「九段ハウス」は20年という契約で敷地と建物を継承しています。
当時の建物をうまく残している。
普段は会員制スペースで見学できないが、2020年9月第一週のチャリティー公開で訪問。
1927年・昭和2年竣工、設計は木子七郎。
特徴はスパニッシュ・アール・デコ・和室で素晴らしい。
それにしても都心の九段にこんなすごい洋館が残っていたとは驚きました。
あまりレトロ建築本には載ってないので、ノーマークでした。
ご紹介して頂いた方々に感謝してます。
昨年でしょうか、Louis Vuittonのイベントをやっているのを通りがかりで見ました。
非常に趣がある建物です。
素晴らしい門構え。
なかなか絵になりますよ。
撮影、個展、発表会に展示会。
サロンを開催したり、小さな演奏会もにも良いかもしれないです。
使い方色々ですね。
イベントは勿論ですが、建物ともともとある空間がすてきです。
閑静な場所に古さとよさが同居したとても良い場所。
昭和2年(1927)に新潟の長岡に本拠を置く事業家・山口萬吉氏の邸宅として建てられたとのこと。
外側から大体の様子を観察するくらい。
藤森照信の「現代住宅併走」第29回旧山口萬吉邸構造設計 内藤多仲デザイン設計 木子七郎遙かなるスパニッシュ・デザイン。
靖國神社と道を隔てた住宅地に、スパニッシュのいいのがあることを知ったのは、1974年に建築探偵団を開始したときだった。
たまに通りかかると窓にあかりがついているから住んでいることはわかったものの、中を見せていただくツテもないまま歳月は流れ、このたび初めて取材することができた。
28歳のときに知り、68歳にして入る、というのは、私の建築探偵稼業のなかの“最長不入記録”だ。
久しぶりに訪れると、周囲の光景はすべて変わり、変わらぬは「旧山口萬吉邸」1927年のみ。
うっそうと茂る庭木の様子も昔のままなのがうれしい。
出迎えてくれた建主の山口萬吉の孫に当たられる裕子さんにさっそく家の来歴をうかがう。
まず、山口萬吉のことから。
山口家は越後は長岡藩の武士であったが、山口萬吉家(歴代萬吉)の祖は次男ゆえ、商人となり、長岡で唐物屋を営んで財をなし、江戸へ出た。
その富のおかげで長岡きっての地主となったという。
明治維新後は、百貨店を開いたり、石油会社や銀行の設立発起人となったりして近代化の波にしっかり乗り、その段階で、この家を建てた祖父の萬吉の代になる。
萬吉は、慶應義塾大学に入り、家業のかたわら財界人として活躍したと聞く。
“財界人”としかいいようのない人物が戦前にはいて、いろんな企業や組織に頼まれて社長をしたり顧問をしたり、たとえば今の原美術館(旧原邸)の原邦造も、江戸東京博物館に室内実物展示される「山の手の家」(旧福本邸)の福本貞喜もそういう財界人。
その山口萬吉は慶應出身なのに、どうして早稲田の人脈に設計を頼んだのか。
山口萬吉邸の設計には、内藤多仲、木子七郎、今井兼次の3人がかかわったことがわかっている。
内藤多仲は戦前には耐震壁構造の発明者として知られ、戦後は東京タワーの設計者としてあまりに名高く、この建物のできた昭和2年1927年には早稲田の教授だった。
木子七郎は東大を出て「愛媛県庁舎」1929年、「新潟県庁舎本館」1932年、「萬翠荘」(旧久松伯爵本邸)1922年などの大作・名作を手がけた知る人ぞ知る建築家。
今井兼次は、戦後、早稲田の教授として知られるが、当時は助手で、表現主義の名作「早稲田大学図書館」1925年を仕上げた直後だった。
この仕事の要の位置に立つ内藤と山口の関係については、「祖父は、学生時代から内藤先生のゼミに出ていた」というのが山口家の伝えである。
マサカと思う伝えだが、こんな思いもよらぬ話が捏造されるわけがなく、本当にちがいない。
内藤のサインが残る設計図を見ると、いかにも“構造的”なのに驚く。
たとえば、平面は長方形に納まり、壁位置がきれいに通り、耐震上これくらいいい平面はない。
もっと注目すべきは壁構造の構造形式だ。
震災復興期だから鉄筋コンクリート造は当然だが、当時の鉄筋コンクリート造はビルはむろん住宅もラーメン構造がほとんどだった。
壁構造の住宅が出現するのは戦後のこと。
“ラーメン”ではなく“壁”にしたのには内藤の強い想いがあったにちがいない。
震災復興にあたり“ラーメン”で行くか“壁”にするか、正確にいうと、ラーメンの柱・梁とその接合部を強化する方向で行くか、ラーメンの中に耐震壁を付加するかで内田祥三と内藤多仲のあいだに対立があり、ビルの仮想設計によって内藤が勝ったばかりだった。
内藤の厚い壁への想いは熱かった。
そこで、耐震壁だけでは止まらず、すべて壁による構造を、ビルは無理としても住宅で試みたかったのではあるまいか。
ラーメンでなく壁にするとコストは倍増するから、めったな人には頼めない。
こんな推測をするのは、この時期、鉄筋コンクリート壁構造の住宅なんてのを内藤が実行したのは、自分の家(26)と山口邸のふたつだからだ。
ふたりの仲は深かった。
内藤自邸は、構造を内藤多仲、デザイン木子七郎、助手今井兼次でやっているから、その関係をそのまま山口萬吉邸に移したのだろう。
とすると、スパニッシュのデザインは木子七郎の手になるとみられ、傍証もあり、木子はこのほかにもたくさんスパニッシュを手がけている。
たとえば愛媛県庁とか芦屋と東京の新田邸とか。
アメリカの旧スペイン領に源をもつこの歴史的スタイルは、19世紀に入りアメリカの西部と南部で一世を風靡した後、すぐ太平洋を越えて日本に上陸し、結局、アメリカと日本の2カ所でしか広まらなかったという少し変わった歴史をもつ。
日本には大正11年1922年に上陸し、昭和に入ってから広まるから、木子は様式の流行に敏感だったことがわかるし、県庁と住宅を同じスタイルでやるというのも見上げたもの。
スパニッシュという歴史的様式は、意外かもしれないが、20世紀モダニズムに一番近いスタイルだった。
全体の形は、四角形を基本とし、デコデコ飾り立てずアッサリ仕上げるし、外壁の仕上げも白っぽい。
木子がこのことを自覚していたかどうかは知らないが、武田五一はスパニッシュのモダンな性格を語ってもいるし、試してもいる。
ギリシャ・ローマ以来の歴史的スタイルを範とする歴史主義のデザインのなかでは、最後に、モダニズム誕生直前に登場するのがスパニッシュなのである。
壁面をアッサリとより無装飾に仕上げるのがスパニッシュの本旨とすると、木子は、歴史主義と長年月修練した自分のデザイン力をどこに注いだのか。
それが、壁面からはひとまず離れた家具や電灯などの、工芸的領分だった。
山口萬吉邸は、工芸的領分こそ見所にちがいない。
名前 |
九段ハウス(山口萬吉邸) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.4 |
「登録有形文化財」関東大震災後、「耐震設計の父」と言われる内藤多仲の構造設計による壁式鉄筋コンクリート造でスパニッシュ様式一見の価値あり。