名前 |
富士浅間神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.0 |
富士山神社(里宮)御祭神 木花咲耶姫命御縁起(歴史)元田は、山間を蛇行しながら流れて来た身馴川(小山川)が、山地から平野部に出ようとする辺りに位置する農業地域です。
その地内にある埼玉県指定文化財、正嘉二年(1258)銘の板石塔婆は、三基の塔婆を一枚の石に刻み込んだ特異な様式です。
当地周辺で入り組んでいる高柳・河内の両大字によって、元田は南北に分断される形になっています。
当社の境内は高柳の地内に属していますが、「風土記稿」元田村の項に「富士浅間社 村の鎮守とす、宝冠寺持」と載るように、古くから元田の鎮守として祀られてきた神社です。
境内の背後には浅間山と呼ばれる標高280mの山が聳えており、この山上の奥宮には、当社から約50分ほどの道のりで参詣することができます。
創建の経緯については明らかではないですが、「児玉郡誌」は「往古より字富士山の絶頂に勧請し、元田・高柳の両村の住民深く之を尊敬せり。
例祭日には遠近より参拝者多し、元田よりの参道には中途に随神門あり、徳川時代には真言宗宝冠寺別当職たり、社殿は享保年中(1716~1736)の建築なりと云ふ」と載せています。
神仏分離後は宝冠寺から離れ、明治五年(1872)に村社となりました。
なお、「児玉郡誌」に載る随神門は、集会所の前にあった仁王門のことと思われますが、老朽化により昭和二十年代初めに取り壊されました。
また、集会所の傍らに法印墓石があり、この辺りに宝冠寺があった可能性が高いと考えられています。
(境内案内板より)御縁起に書かれている「法印墓石」は、「富士山神社(里宮)」より約70m南東の「元田自治会館」敷地にあります。
「富士山神社(里宮)」より北西に約50mほど道沿いに進み、浅間沢側に下りて渡った先の石段を登ると「浅間神社(元宮)」があります。
「浅間神社(元宮)」横の山道を登って行くと、山頂に「浅間神社(奥宮)」があります。
「富士山神社(里宮)」社殿の縁に、各宮の位置を描いた素朴なタッチの奉納画があります。