名前 |
井上哲次郎生誕地碑 |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
五条で生まれる。
神牛塚からどんかん道をさらに天満宮の方へ進み右折してすぐの右側に明治時代の哲学者井上哲次郎(1855-1944)の生誕地の碑があります。
井上哲次郎の哲学体系は「現象即実在論」とよばれ、「認識と実在との関係」(1900年)にその大意が示されています。
井上哲次郎が東京帝国大学文科大学長のときラフカデイオ・ハーン(小泉八雲、講師)が解雇されるということがあり二人の仲は不運だったそうです。
解雇の原因としては外国人の待遇は総長と同額であったこと、外国人には長期有給休暇があったこと、日本の文教政策の転換などが考えられています。
その後、ハーン一人分の給料で夏目漱石ら3人を雇用することになりました。
ハーンは熊本第五高等中学校赴任の翌年に太宰府を訪れています。
哲次郎の師である中村徳山(号は巽軒(そんけん))は「都成塾」を太宰府の自宅で開いていました。