何といっても景観バランス日本の中心素晴らしい。
都内に住んでるのに始めて行きました。
皇居に行くだと敷居が高いですが、江戸城見学だと思うと面白い城見学となりました。
大河で家康をやってるのに日本人は少ない感じで、外国人ばかりでした。
年末年始に行われる皇居ライトアップ、大手門もライトアップされます。
お濠の水に映る姿は美しいです。
ごく短い間しかやらないライトアップ、お勧めです。
旧江戸城の正門で、参勤交代で江戸に滞在していた大名たちはここから新年や月次で登城する際に使用しました。
大手門の高麗門をくぐって中に入ると、枡形と呼ばれる四角く囲まれた広場になっています。
この枡形は、敵が城内にまっすぐに侵入するのを防ぐとともに、攻撃の際には兵の集合場所にもなる施設で、周囲の白壁には狭間という銃を撃つための穴があります。
江戸城の城門の多くは、この形式でした。
大手門は築城名手として知られた津藩の初代藩主藤堂高虎の設計といわれます。
左右の石垣は伊達政宗が築造しました。
現在の門は、昭和42年に復元されたものです。
現在では大手門をくぐると内部は、宮内庁の管理する皇居東御苑で、一般にも開放されています。
大名ほか諸侯は、この大手門から入城しました。
現在では大手門をくぐると内部は、宮内庁の管理する皇居東御苑で、一般にも開放されています。
感動しました。
日本古来の雰囲気かある。
麗らかな春の枝垂れ桜に癒されました。
地下鉄大手町から来るとすぐある大手門。
立派です。
日本人なら、一度はくぐってみたい門ですね。
思ったより立派です。
毎年いきますが桜の本数はそれほどではないけれど、何といっても景観バランス日本の中心素晴らしい。
1607年、築城の名手・藤堂高虎によって1年3ヶ月ほどかけて築かれました。
1620年の江戸城修復に際には、伊達政宗(石垣を担当)や酒井忠世によって再建され、現在のような桝形門になっています。
酒井忠世の孫・酒井忠清は大手門の下馬札近くに屋敷を持ったため、下馬将軍と呼ばれましたが、大手門工事にも伊達、酒井を当て、大手門周辺に三河以来の忠臣を配したという、徳川家の緻密な戦略が窺い知れます。
江戸城大手門は、高麗門と渡櫓型の櫓門で構成された典型的な枡形門の形式(石垣を四角く巡らして直進できない通路を設けた門)で、渡櫓の櫓門は桁行22間(40m)、梁間4間2尺(7.9m)という大規模なもの。
渡櫓門には長大な武器庫である建物を載せていました。
建物は戦災で焼失。
現在のものは昭和の再現ぶつです。
大名、旗本達が登城する通用口、大手門より江戸城址散策 天気は今ひとつであるが桜満開ですなぁ。
渡櫓門(わたりやぐらもん)をくぐり、まずは、百人番所:今でもこのあたりに皇宮警察。
馬ではないがスバルが巡回でしょうか?二の丸の正門・銅門(あかがねもん)の跡を通過して石垣を観察。
布積ですなぁ。
要所は切込みハギで緻密な造り。
やはり天守台は巨石の布積、切り込みはぎにて目地のない積み方です。
伊豆あたりから運ばれ積まれた石垣ですが、あまり美しい佇まいではないような気がします。
石の色彩と丸いクラック、戦火でで焼かれたせいでしょうか?この日は雨こそ降りませんでしたが、満開の桜に癒やされた一日でした。
語るほどのところはないです。
立派で大きな門です。
名前 |
大手門 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3213-1111 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.4 |
江戸城登城の際の正門。
手前の高麗門は1659年の再建。