お寺の入口にあたる門です。
電車で行くのならば、JR横須賀線・北鎌倉駅から鎌倉駅方面に向かって歩いて20分強くらい、JR横須賀線&江ノ島電鉄・鎌倉駅東口から北鎌倉方面に向かって歩いて30分強くらい、バスで行くのならば、JR横須賀線・北鎌倉駅から江ノ電バスで5分強くらいの建長寺バス停下車すぐ、JR横須賀線&江ノ島電鉄・鎌倉駅から江ノ電バスで10分強くらいの建長寺バス停下車すぐのところにある、日本初の本格的禅寺であり、鎌倉を代表するお寺のひとつである。
正式には巨福山建長興国禅寺といい、山号は地名の巨福呂から、寺号は年号からつけられた。
本尊は木造地蔵菩薩坐像である。
鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の大本山である。
建長5年(1253年)に鎌倉幕府五代執権・北条時頼(ほうじょうときより)公が建立したわが国最初の禅寺である。
建長寺の開山(創始者)・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)は、中国の高僧・無明慧性(むみょうえしょう)に学び、寛元4年(1246年)33歳で来日し、九州、京都を経た後、鎌倉に入り、北条時頼に請われて建長寺に迎えられたとのことである。
蘭渓道隆は、中国宋時代の純粋で厳しい禅をそのまま導入し、建長寺を天下の禅林として多くの僧を集め、中国文化の受容、勉学の場として、一時は千人を超える修行僧を指導したそうである。
その教えは現在国宝として寺に残る「法語規則」に見ることができる。
「鞭影を見て後に行くは即ち良馬に非らず、訓辞を待て志を発するは実に好僧に非らず~」。
蘭渓道隆はその後、京都の建仁寺、甲斐の東光寺等にも移り、弘安元年(1278年)に再び建長寺に帰り、66歳で亡くなり、後宇多天皇より「大覚禅師」という禅師号を賜わった。
これは日本で最初の禅師号である。
北条時頼は、建長寺を建立し、大覚禅師や、第二世住職・兀菴普寧(ごったんふねい)に師事し、禅の教えに深く帰依した。
また、時の権力者として経済的にも建長寺を支え、全国的に禅宗を広め、自らも出家して法名を「覚了房道崇(かくりょうぼうどうすう)」と名乗った。
建長寺総門は、天明3年(1783年)の建立とされている。
1940年に京都の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)から移築されたものである。
総門に掲げられた「巨福山」の額は、建長寺10世住持で、書の名手である渡来僧・一山一寧の筆と伝えられている。
「巨」字の第3画目の下に、余分な「点」が書き加えられているが、この点があることによって字に安定感が出ているとされる。
駐車場は有料です。
1時間¥600ですが1時間毎に料金が掛かってきます。
平日は混んでない状況です。
入館料も有料¥500ですが建長寺の山頂まで境内なので勝上嶽展望台まで登っても料金は一緒です。
今は桜の季節なので総門から山門まで歩く桜並木の景色は最高です。
全ての植栽が非常に細かく手入れされていて何を見ても綺麗でした。
境内に入り総門を過ぎるとお土産屋や売店は無く自動販売機で飲み物がたまに買えるぐらいですので境内全てを回るなら飲み物は持って歩くのが良いと思います。
トイレは方丈龍王殿を過ぎると一切無くなるので山頂の方へ向かう前に済ませておいた方が良いと思います。
令和2年7月に参拝!臨済宗総本山、この総門の大額は有名ですね!
巨福門ともいい、天明3年(1783)に建立された京都の般舟三昧院の門を昭和15年に移築したものです。
額の『巨福山』は建長寺第十世住職一山一寧の筆によるものです。
京都から移築されたそうですが、建長寺の壮大さによくあうと思います。
建長寺の最初の総門は、1275年頃に建てられたと考えられています。
その後、罹災と再興を繰り返してきました。
総門が最後に再興されたのは、1609年のことと考えられていますが、その建物も1923年の関東大震災で倒壊してしまいます。
現在の総門は、1940年に京都の般舟三昧院から移築された建物です。
この建物は、1783年に建立とされたものといわれています。
建長寺の総門は天明3年(1783)建立の京都の槃舟三昧院より昭和18年に移築されたそうです。
額は第十代住職一山一寧の筆によるものだそうです。
17.建長寺見どころのポイント(総門・山門・参道・仏殿 等)建長寺の外門かつて建長寺の総門の前には東西の外門があった。
・建長寺の西外門1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊後、1984年(昭和59年)に再建された。
「天下禅林」の扁額を掲げているため「天下門」と呼ばれた。
西外門の「天下禅林」の文字は、1628年(崇禎元年)、竹西によって書かれたもの。
門前には、鎌倉五名水の一つ「金龍水」があったが、道路拡張工事のため、1962年(昭和37年)頃に埋められてしまったそうです。
・建長寺の東外門再建はされず、今はない東外門には「海東法窟」の扁額が掲げられていたが、今は法堂に掲げられています。
この場所は、現在、車両の出入り口となっており、総門に向かって出入り口の左側に「天下禅林・海東法窟」と刻まれた碑がある。
西外門に掲げられている「天下禅林」の額と同じく竹西によって書かれたものです。
「天下禅林」とは、「人材を広く天下に求め育成する禅寺」という意味。
「海東法窟」とは、「中国・宋から海を渡って仏法が伝えられたこと」を意味するという。
総門現在、建長寺の総門は、1940年に京都の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)から1783年に作られものが移築された。
最初に作られたのは1275年。
以降、焼失と再興を繰り返し、最後に再興された総門も1923年の関東大震災で倒壊したために現存していません。
山門(三門)現在の三門は1775年に再建されたもので、上層屋根はこけら葺き形銅板葺きであり、国の重要文化財にも指定されております。
桜上には釈迦如来・五百羅漢・十六羅漢が安置されており、門を通るだけで心が清らかになると言われています。
梵鐘国宝に指定されている、建長寺の鐘。
仏殿現在、建長寺の仏殿は、もともと徳川秀忠の正室、崇源院を供養するために芝増上寺に建てられていたものです。
1647年に御霊屋(みたまや)の建て替えに際して建物を譲り受け、建長寺の境内に移設されました。
そのため、建長寺の仏殿は、一般的な禅宗のものとは異なる造りとなっています。
仏殿には、室町時代に作られた高さ2.4メートルの巨大な地蔵菩薩坐像が安置されています。
2010年には、国の重要文化財指定となりました。
法堂禅宗以外の寺院の「講堂」に相当する建物。
入母屋造、方三間、裳階(もこし)付き、銅板葺き。
文化11年(1814年)の上棟、文政8年(1825年)の竣工である。
棟梁は建長寺大工の河内久右衛門。
内部には身舎・裳階の境に柱が立つのみで間仕切りはない。
床は瓦の四半敷きとする。
堂内中央奥に高さ2メートルを超える法座を設け、その奥に本尊千手観音坐像を安置する。
なお、天井の雲龍図は、鏡天井に直接描かれたものではなく、別に制作された絵を掲げたものである。
2005年愛知万博に陳列されたラホール中央博物館所蔵の釈迦苦行像のレプリカが、愛知万博終了後にパキスタンより寄贈され、安置されている。
鎌倉最大級の木造建築で2005年に、重要文化財に指定された。
唐門建長寺の方丈の正門であり、屋根が唐破風になっている門という意味を持ちます。
徳川家の菩提寺増上寺の中門だったもので、1647年に仏殿や西来庵中門とともに建長寺へ移築されました。
平成23年には保存修理が完了し、華美な姿が復元されています。
方丈方丈(ほうじょう)は龍王殿とも呼ばれ、宝冠釈迦如来を本尊としています。
度重なる焼失と再興を繰り返し、現在の建物は総門と同じく1940年に京都の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)から移築されたものです。
方丈裏側にある庭園は、日本最古の禅庭園になります。
イスがあり座りながらゆっくり眺めることができます。
総門は、1940年に京都の般舟三昧院から移築されたもの。
1783年に建立されたいわれる建物で「巨福門」と呼ばれている。
「巨福山」の額は、第十世一山一寧の筆で、「巨」の字に点が加えられ、百貫の価をそえたものといい、この点は「百貫点」と呼ばれている。
鎌倉五山の第一位である建長寺の入り口になります。
鶴岡八幡宮から北東に伸びる県道21号線沿いに建長寺はあります。
県道には駐車場が面しておりそのやや中ほどに入ったところに総門があります。
総門をくぐると右手が拝観受付所となっています。
総門は1783年の建立で京都から移築されました。
門にあげられている寺名の額の「巨」の字が特徴的です。
お寺の入口にあたる門です。
元は京都の槃舟三眛院の門で天明3年(1783)建てられた門で、昭和15年(1940)移築したもの。
額の「巨福山」建長寺住職一山一寧の筆によるものです。
巨の字に達筆すぎる勢いから一点加えられて百貫点ともいわれています。
江戸時代天命三年(1783)に京都・般舟(はんじゅういん)三昧院で建立されものを昭和15年に移築されました。
総門の扁額「巨福山(きょふくさん)」は、中国の僧、ー山一寧(いっさんいちねい)禅師(一山国師)の筆によります。
巨福山は「多くの福をもたらす寺」という意味になるそうです。
さて建長寺は鎌倉時代の建長五年(1253)執権北条時頼公の発願(ほつがん)で、中国の禅僧の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を開山(かいさん)に創建されました。
日本で最初の純禅道場になります。
各建物の建築様式が「佛・法・僧形式」の典型的な中国禅宗様式で、総門・三門・仏殿・法堂・方丈が一直線に並んでいます。
総門の右側が受付、左側が御朱印他授与品売り場が揃っています。
この建屋には休憩所と自販機も備わっています。
名前 |
建長寺 総門 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
1940年に京都から移築されたのはしらなんだ1783年建立。