桓武天皇陵参考地の北側に位置している。
寂れたお宮さんですこの時期に皐月が咲いていました。
秀吉が伏見城の守護のために、城の鬼門方向にあたるこの場所に建てたそうです。
閑静できれいに整備された神社です。
案内板には古御香宮神社と書かれています。
狛犬が不気味、変な塗装しないでほしいな。
水で有名な神社です。
現在の御香宮は元々ここにあったが、伏見城築城にあたって現在の場所へ移ってそのままとなり、ここは御旅所となってしまった。
静かな森の奥にあり、往時が偲ばれる。
ごこんさんの元宮です。
桓武天皇陵参考地の北側に位置している。
味わい深い。
🤔2019.2.24
秀吉が伏見城築城の際に、城の鬼門(北西)にあたるこの地に、御香宮を建立しました。
家康の代になり、御香宮は現在の地(桃山)に移りました。
そのため、この宮は「古御香」と呼ばれています。
幕末の鳥羽伏見の戦いの際は、ご神体をこの宮に避難させたと言われています。
位置的には墨染駅から東へ。
六地蔵に抜ける峠の手前にあります。
狭い道路ですが、伏見から六地蔵への抜け道にあたるため、ひっきりなしにクルマが通ります。
近鉄桃山御陵前駅の近くにある御香宮の元宮。
「ふるごこうぐう」と呼ばれている。
隣には桓武天皇陵があり、緑が多いので、境内は鳥のさえずりが聞こえる。
住宅に囲まれているが静か。
人もいないため、少し心細さを感じた。
車を停める場所がないので、注意。
京都は奥が深い。
その象徴のようなお社。
日本第一安産守護之大神とされる「神功皇后」を始め九柱の神をまつる当社は、深草大亀谷敦賀町を中心とする「峠」一帯の氏神として深く信仰されている。
文禄三年(一五九四)、豊臣秀吉は伏見築城にあたり、城内鬼門除けの神として伏見九郷の石井村にあった「御香宮」をこの地に遷し、本殿等を造営して社領三百石を寄進した。
秀吉の没後、天下人となった徳川家康は慶長十年(一六〇五)城下町の人心の安定を企って、この神社を再び元の地に戻した。
秀吉の造営した本殿は江戸末期に大破し、その後に建てられたのが現在の本殿である。
(平成十年五月解体修理) こうした経緯から地元の人々より「古御香宮」と呼ばれ、十月御香宮神幸祭には神輿の御旅所として神輿渡御がある。
秀吉がここに神社を祀ったのは、隣接する「桓武天皇陵墓参考地」を保護する必要上とも伝えられている。
尚、明治維新、すふぃみの戦いに際して、一時御香宮の御神霊が遷御された。
名前 |
御香宮御旅所 |
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ジャンル |
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住所 |
〒612-0843 京都府京都市伏見区深草大亀谷古御香町20 |
評価 |
3.4 |
古御香宮。
手前の石は桓武天皇陵の石室の蓋という噂あり。