悲劇のプリンセス、千姫が眠るお墓。
知恩院境内にあります。
奥の方ですが周囲のお墓より大きかったのですぐに分かりました。
安らかに眠っているでしょうか?
濡髪大明神のお社の前にあります。
立派な墓塔です。
方丈庭園から来ると少々わかりにくいかもしれません。
木戸をでて墓地を右手にゆくと神社(祠)の前にあります。
千姫の活躍はほぼ知りませんが大奥で大きな影響力を持っていたかたのようです。
悲劇のプリンセス、千姫が眠るお墓。
お遺骨は分骨され、東京・伝通院、茨城・弘経寺、そして京都・知恩院の各寺にお墓があるそうです。
千姫は、徳川秀忠とお江の方の長女として出生し、7才で豊臣秀頼と結婚。
大阪夏の陣で豊臣の滅亡後、嫁いだ徳川の重臣本田忠刻も31才の若さで亡くなるといった悲劇を経験。
以後は出家し江戸城内の屋敷で生涯を過ごしたそうです。
知恩院境内、勢至堂の裏の墓地にひときわ大きな墓石の前に、立て看板、ベンチがありますので、すぐわかると思います。
歴史に思いをはせて、参拝する価値はあると思います。
大きなお墓です( ´∀`)
徳川秀忠の娘、千姫のお墓です。
「千姫の墓」という立札が立っていますが濃いグレーの板に黒い字で書いてあるので見にくく見落としやすいです。
表示 千姫の墓 字が見にくいので見落としやすいです。
名前 |
千姫の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
千姫(天樹院)慶長2年~寛文6年(1597~1666)豊臣秀頼 慶長20年(1615)没本多忠刻 寛永3年(1626)没知恩院には分骨が納められているそうです。