雪舟作の庭園とのことで立寄りました。
雪舟作の庭園とのことで立寄りました。
お寺は無人のようで、拝観料も不要でした。
ある程度手入れもされていたのですが、美しいお庭を想像していたので、池の表面が汚れていたのが残念でした。
蔵目喜町の常徳寺は浄土宗鎮西派の寺院で天正年間(1573~1591)の創建と伝えられていますが、たび重なる災禍により文献が焼失したので、はっきりとはわかっていません。
本堂前の墓地には、中世から江戸時代のものとみられる古墳・石塔があるので、天正年間以前にも寺院が存在した可能性もあります。
明治三年(1870)に焼失し、翌年に再建され現在に至っています。
また現在は、住職不在の寺院となっています。
要注意なのは県道から常徳寺への道は、普通車1台が通れる幅の道です。
大型車での通行は近隣住民の迷惑になるので避けたほうがよいでしょう。
駐車場はありますが、普通車の2〜3台が駐められるほどの広さです。
庭園は本堂の東側にあり、室町時代に築庭された池泉鑑賞式(ちせんかんしょうしき)庭園で、 池の奥にある高さ約7mの巨岩を遠山石に見立て、その南裾部を巧みに削岩し、力強い渓谷風の滝石組にしあげられている点 に大きな特徴があります。
園池の広さは南北方向に東側(水の取水口側)約10m、西側(書院側)約15m、東西方向に約21mある。
中の島は南北に約8m東西約14mある。
背景に自然岩盤を配して、遠山石として蓬莱山風に見立てており、その岩盤の裾を大がかりに加工し、滝石組遣水お片袖にしています。
中の島は東側約3分の1は後期に築かれたもので原形は西側の約3分の2であり、本堂側を主に配石し山形石・立石・横石など角張った石を巧みに配しています。
特に、長方形の巨石を横に使う技法は室町時代の風情を思わせるものがあります。
池泉の水は南東端の鍾乳洞(こうもり穴)から湧出水を導いて遣り水(やりみず)に通して、滝口の水門から中の島の左右に分かれ流れ、池尻より出るようになっている。
この水の源流が鍾乳洞から出ることや本堂前に舟型石があることなどから宗教的になぞられた池かもしれないといわれる。
ただ、池は涸れた状態にあります。
往時 後方斜面を築山とみなし、書院(跡)薬師堂(跡)に囲まれた池泉に石組、樹木等を配した風致は申し分なく美しい庭園であったことが想像される。
この庭園の作庭者は雪舟ではないかという伝承記録があり、一方では常徳寺の開創時期(1573~1591)と雪舟の生年(1420~1506)の隔絶から否定する記録(風土注進案)もある。
作庭手法が中心から石組に向って右辺に斜線で石の線が流れて、それがそのまま渦を巻いたようになって天に飛翔していく力強い石組の構成を作っている点が雪舟の作庭に迫っているといわれる。
特に雪舟にしか見られない傾向(1.石を垂直に構成、2.重ねかける石組、3.長い石を護岸石組に使う)がある。
山口県内では、発掘調査によって庭園の規模・構造・築いた時期等が確認されたのは初めてであり、数少ない中世庭園の一つとしての資料的価値も極めて高い。
この庭園は、室町時代にさかのぼる作庭であり、他に例のない岩盤削り出しの滝石組や築山の独特な作庭技法、鍾乳洞の霊水の取り入れ等が判明し、近世初頭の優れた作庭として価値が認められるとともに、保護のために平成十二年十二月二十七日に国指定名勝となりました。
「防長風土注進案」に『古蹟 雪舟之築庭、常徳寺境内にあり 但年月不詳 方今は破壊して築石、池のかたちわずかに残り候・・・』としるされている。
(※)防長風土注進案:天保の改革に関連して、天保十二年に、防長二州全域の、各村落の沿革、地理、産業、経済、社会、習俗等の実態を綿密に調査し記録したものです。
(2018/11/15)
名前 |
浄土宗 常徳寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.3 |
国道9号線から県道11号線に入り、北上してると目に止まった看板それには国指定史跡庭園と書かれてたので急遽立ち寄った寺院である天正年間創建と伝わる住職不在の寺らしい。