歩いてると、普通に土器のカケラが落ちてる。
正直、何もない・・・・(苦笑) 何かを感じ取れる気配も・・・・ 近くに資料室があるようだが、開いてるのか??
東京を代表する縄文時代晩期の遺跡。
方形配石遺構、石棒を使用した祭祀遺構、甕棺墓などの遺構や土偶、土版石剣、石刀、石冠といった呪術的な道具、精巧な土製耳飾りなど大変貴重な遺物が数多く出土しているとのこと。
今後史跡として整備されていくようですが、現在は発見された遺構は埋め戻されているようで展示などされておらず、雑木林になっており、その片隅に古びた説明板があるだけです。
20年前には、狐塚あるだけの野原だったのが、今や住宅の建ち並ぶ地区となってしまった。
当時の写真を投稿する。
立て看板はありますが、素人目には何もないただの雑木林です。
歩いてると、普通に土器のカケラが落ちてる。
拾っちゃいけないけど、見てるだけで楽しい。
ただの広場遺跡を思い起こさせるのは看板のみ。
まわりは高級?住宅地。
今も開発が進む中、古代、ここに人が住んでいた、それだけの事で開発を免れ、遺跡、史跡という名前で保護されて、わずかばかりでも緑と自然が残されました。
古代人に感謝ですね。
関係者以外は立ち入り禁止の如く近隣住民以外は遠慮してしまう様な薄気味悪い砂利道脇に指標が建つ。
指標の前は戸建やアパートのベランダがあるので迷惑にならぬように静かにね。
調布市指定旧跡があるところに好んで建てた家だから仕方ないかな。
以下引用多摩川中流域左岸に5世紀前半から7世紀前半にかけて造営された下布田古墳群を構成する円墳の一つです。
下布田古墳群ではこれまでに17基の円墳が確認されており狐塚古墳は古墳群のほぼ中央に位置します。
地元では「狐塚」と呼ばれていて古くから古墳として認識されていました。
昭和19年頃に照空隊陣地設営のためその大半は掘り崩されてしまい平成12年の調査時点では中央部分に80センチ程の高まりを残すだけとなっていました。
狐塚古墳の調査は布田六丁目土地区画整理事業に伴い平成12年10月から13年3月にかけて行われました。
発掘調査の結果狐塚古墳は古墳時代終末期に築造された大型円墳でその規模は墳丘径約44メートル周溝外径約60.5メートルを測り都内でも最大規模の円墳であることが明らかになりました。
埋葬施設として半地下式の横穴式石室が検出されています。
石室はほぼ真南に開口し奥壁へ向かってやや幅が広くなる羽子板状を呈しています。
規模は羨門から奥壁まで8.7メートル石室床面長6.8メートル、幅は奥壁側で2メートル羨門側で1.45メートルを測ります。
天井部が削平されていますが側壁は河原石を小口積みし奥壁にのみ凝灰岩質砂岩の切石を積み上げています。
一帯は雑木林になっており、このあたりに古墳群があったと説明があります。
墳丘はすでにないものが多いですが、遺構は良好に保存されています。
調布市の教育委員会の事務所があり、出土品などの説明がありますが、規模は小さく(府中のように立派ではない)残念に思います。
下布田6号墳(狐塚)はかつての古墳の様子を比較的とどめています。
名前 |
下布田遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.chofu.tokyo.jp/www/contents/1431941588156/index.html |
評価 |
3.3 |
ただの林状態の場所です。
遺跡と表示がなければ分からない感じです。