本殿などとってもきれいになってます。
久しぶりに鳥居をくぐり石段を登るとびっくりしたことに、すごい綺麗になってる!まして後ろに日本一高いビルをしたがえ、新興宗教の屋根も借景のように甍が輝く。
神社の石段を登るときに左手のアスファルトの道があったが、これは昔はフレンチレストランがあったところだろう。
そしてこのあたりのサラリーマンが花見にこの境内に青いシートをひいていたのも歴史の一瞬に過ぎない。
今聳えて開業する森ビルですら、卒塔婆のようにいつかは朽ちていくんだと思いを馳せる。
この社は10円の御神籤(もう30年も前から同じ値段だそう)や、掘り起こしたら出てきた砲弾、前から庭に転がってたという反故紙を祀った石碑などユニークなものが並ぶ。
清書される前の反故紙の方が何倍も多い、それを捨てることに呵責を感じるからなのか、こんな塚があるのも面白い。
神社自体が整備工事中で敷地内に柵があったりしますが、本殿などとってもきれいになってます。
東京タワーを目掛けて歩いている最中、こちらを通過したところ、何か引かれるものがあったので階段を登ってみたら、綺麗な神社が其処にありました。
手水舎はこのご時世の為か、水が流れていませんでした。
(22.4月来訪)10円の自動販売おみくじ機に惹かれました。
大吉でしたので、これに呼ばれたのかもしれません。
素敵な出会いでした。
都会の只中、高いビルが林立するなかに、樹齢もそこそこ長そうに大きな木に囲まれ、静謐な佇まいの神社でした。
本殿は既に真新しく改築されており、真夏の空気に爽やかな木の香りがしてきそうです。
2021年投稿時は新社殿造営中でしたが、2022年1月18日訪問時、社殿、手水鉢、社務所は完了しておりました。
まだ周囲は境内社鎮座しておりませんが参拝は出来ます。
周囲の再開発工事が目立ちますが、新しい社も素晴らしいです。
タワー近くに行かれたらちょうっとお寄りして参拝するのはいかがでしょうか。
ただ、こちらは御朱印は出されておりません。
森ビルの開発で、神社も綺麗になりましたね。
見通しが良くなりすぎのような気がしますが。
まだ、開発途中ですからどうなるか。
以前訪れた時は、周囲とは時空間を感じ、こんな都心に凄い自然がとビックリしたが、建物が新しくなり周りもかなり明るくなっていた。
とても立派な建物です。
歴史のある社です。
都会の真ん中にありますがとても境内は広くスゴいなとおもいました。
社殿遷宮中でした。
仮拝殿で参拝しました。
隣が大規模再開発工事中で騒音がありますが。
その関係で大成建設が社殿工事をしてるのかな?
2021/03/30現在は工事中で入れない。
工事終わりに再訪したい。
神谷町一帯は現在超大規模再開発で、昭和感満載の町が幾つも取り壊されてしまいました。
この八幡神社⛩️も建て替えを余儀なくされ、現在工事中です。
きっと氏子さん達も首を長くして完成を待ち詫びているでしょう。
新しい街もできれば、鎮座して一千年も経つこの神社の新たな歴史が始まります。
楽しみです‼️ところで仮殿入口脇のおみくじ、何と10円です。
それも自動。
仮殿での参拝に気を利かしてくれたのかも⁉️やってみました‼️確かです。
大吉でした🎯🎊😱💖
効き目抜群。
勝ち運、くじ運が上がります。
毎年参拝してます。
お世話になっております。
おみくじ10円を今も変わらず守ってくれてるありがたい神社。
大都会の中で自然と神を感じられる素晴らしい気の場所です。
私は毎月御1日と15日にお詣りしております。
現在、改装中・・・自動販売機のおみくじが10円でした。
10円おみくじ、ありがたいです早く本殿完成して欲しいです仮の本殿はちょっとさみしい気持ちですでも落ち着いて参拝できました。
素晴らしい神社です。
今は、数年後に新しく生まれ変わる西久保八幡神社を建設中です。
楽しみです。
建て替え中だったので、綺麗になってから、もう一度伺いたいです。
境内は、現在工事中。
本殿への参拝は出来ました。
心地よい場所です。
境内に金魚が居ます。
見れた時は縁起がいいです。
高台にあり、ひっそりとしています。
そして、あちこち寂れた感じが…。
おみくじが10円なのは良心的ですね。
神谷町・徒歩🚶3分 品陀和気命 (ホンダワケノミコト) 息長帯比売命 (オキナガタラシヒメノミコト) 帯中日子命 (オキナカツヒコノミコト)品陀和気命(応神天皇)息長帯比売命(神功皇后)帯中日子命(仲哀天皇)の三柱の大神様が御祭神でございます。
仲哀天皇と神功皇后という夫婦の大神様とその御子応神天皇がお祀りされております。
境内末社稲荷社 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)人麿社 柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)庚申社 猿田彦神(さるたひこのかみ) 八幡さまは、多くの武将から崇敬されたことからもわかるように、勝負運の御神徳はよく知られていますが、敵を退けることから、災厄をも退けるとされ厄除けの神さまとしても知られています。
また安産や子育ての神さまとして広く崇敬されています。
寛弘年中(1004~12)に、源頼信(多田満仲の三男)が、石清水八幡宮の神霊を請じて、霞ヶ関のあたり(榎坂とも)に創建したという。
太田道灌の江戸城築、現在地に遷された。
徳川秀忠正室の崇源院(江ごう)は、慶長5年、家康・秀忠の関ヶ原の戦での戦勝と安全を祈願し、その報賽として社殿建立の遺志を残しており、家光公御代寛永11年、社殿が造営され、同時に御神体の八幡宮座像・仲哀天皇座像・神功皇后座像と明王像(不動明王立像・愛染明王座像)も奉納された 昭和20年3月、戦災により、社殿はじめ御輿庫、社務所を焼失、5月神楽殿も焼夷弾の直撃を受けた。
終戦当日は、焼野原に建つトタン葺の仮社殿で大祭式を終え、数名の参列者とともに、玉音に接するありさまであった。
氏子の町々の復興とともに昭和28年8月社殿を総桧木により復興、同29年町内御輿庫再建、同時に手水舎を時の氏子総代山田信治郎氏奉納、同37年末社稲荷社・人麻呂社を復興。
同40年国道一号線拡幅工事に伴い、鳥居・石灯籠および熊谷橋の移築。
同51年8月社務所を木造瓦葺で新築した。
平成23年1月、御鎮座一千年奉祝事業の嚆矢として男坂玉垣を修復、同8月奉祝記念大祭斎行、同12月奉祝記念碑を建立した。
平成27年7月、御本社神輿を復興。
おみくじが10円なのは初めて。
境内で見つけたコレは大砲?一見荒れて見える敷地も、都内でありながら時代と自然を感じられる心地よい憩いの場だと思います。
都心の神社としては比較的広い境内ですが、寂れている印象を受けました。
残念ながら御朱印は授与を中止されているとのことです。
寛弘年中(1004~12)に、源頼信(多田満仲の三男)が、石清水八幡宮の神霊を請じて、霞ヶ関のあたり(榎坂とも)に創建したという。
太田道灌の江戸城築城に際し(築城は長禄元年・1457)、現在地に遷された。
徳川秀忠(徳川二代将軍)正室の崇源院(諱は「江(ごう)」・「お江」・浅井長政とお市の方の三女・家光の生母)は、慶長5年(1600)、家康・秀忠の関ヶ原の戦での戦勝と安全を祈願し、その報賽として社殿建立の遺志を残しており、家光公御代寛永11年(1634)、社殿が造営され、同時に御神体の木像(八幡宮座像・仲哀天皇座像・神功皇后座像)と明王像(不動明王立像・愛染明王座像)も奉納された。
(享保8年(1723)の火災により焼失)元和5年(1619)には時の鐘が建てられたが、寛文10年(1670)に割れてしまい、現存はしていない。
享保8年(1723)の火災の翌年には土蔵にて社殿が建造されたが、文化8年(1811)にも火災に遭い、文政元年(1818)に再建されている。
この二回の火災により宝物・旧記等はことごとく失われた。
また、その間にあっても明和3年(1770)・文化12年(1815)・文化13年(1816)には境内で大相撲が行われ、落語や講談で有名な阿武松緑之助(おうのまつみどりのすけ)も相撲を取っている。
明治維新の神仏分離までは、八幡山普門院と称し、東叡山の末寺であったが、江戸八所八幡の一つに数えられ、八八幡詣(ややはたもうで)として多くの参詣を受け、周辺は門前町として賑わった。
また、天保9年(1838)刊行の「東都歳時記」8月15日の項に当時の祭礼の様子が次の通り記されている。
『毎年神輿産子の町を渡し、 西久保大通りへ御旅所を儲けて十三日より御旅出あり。
今日放生会をなす。
町々より隔年踊りねりものを出す事、丑卯巳未酉亥の年なり。
』昭和15年、皇紀2600年を記念して、境内を整備し、玉垣・神楽殿・御輿庫が新築された。
祭礼には門ごとに軒提灯を下げ、牛車にのせた御輿が氏子中を練り歩いた。
市兵衛町(六本木一丁目あたり)の偏奇館主人荷風散人(永井荷風)は、その日記に「西ノ久保八幡宮祭礼にて近巷賑かなり」「飯倉八幡宮の祭礼にて馬鹿囃子の音夜ふけまで聞こゆ」など記す。
昭和20年3月、戦災により、社殿はじめ御輿庫、社務所を焼失、5月神楽殿も焼夷弾の直撃を受けた。
終戦当日は、焼野原に建つトタン葺の仮社殿で大祭式を終え、数名の参列者とともに、玉音に接するありさまであった。
氏子の町々の復興とともに昭和28年8月社殿を総桧木により復興、同29年町内御輿庫再建、同時に手水舎を時の氏子総代山田信治郎氏奉納、同37年末社稲荷社・人麻呂社を復興。
同40年国道一号線拡幅工事に伴い、鳥居・石灯籠および熊谷橋の移築。
同51年8月社務所を木造瓦葺で新築した。
平成23年1月、御鎮座一千年奉祝事業の嚆矢として男坂玉垣を修復、同8月奉祝記念大祭斎行、同12月奉祝記念碑を建立した。
平成27年7月、御本社神輿を復興。
御神徳は国家鎮守・勝運守護・開運・厄除・交通安全・家内安全・社内安全・商売繁盛・安産・成長守護など多岐に亘ります。
急な長い階段を登りきると、ひっそりと鎮座しています。
節分祭は賑やかに地元の協力があっての行事であると感激しました。
(18/01/20)参拝しました。
御朱印は行っておられません。
御祭神 品陀和気命(ほんだわけのみこと):応神天皇(第15代天皇) 息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと):仲哀天皇の皇后 帯中日子命(おきなかつひこのみこと):仲哀天皇(第14代天皇)旧社格:郷社主な祭日 大祭:8月東京メトロ:神谷町駅より250m。
大通りからけっこう急な階段を登った所にあります。
意外と広々としていましたが、お手入れ中なのか??来訪時は正月でしたが、綺麗にこれからする所、といった感じが見受けられる。
日中は参拝客も途切れることなく訪れているのに、残念な感じがしました。
敷地内のお稲荷様近くに、外へ出る階段がもう一つありました。
正面よりはややなだらかでしたが、植木が飛び出ていたり、完全な裏道で、寂れた民家の近くを通り、神社隣のTOYOTAの駐車場付近に出ました。
お賽銭箱の右手におみくじ10円があります。
これはとても良心的で嬉しいかったですが、なんと10円だまを切らしていました(*T^T)日頃の行いが出てしまったと諦めて、50円で購入。
(それでも安く有り難い!)これからの願掛けの期待も込めてお願いしてきました。
赤羽橋駅から飯倉交差点の坂をゆっくり歩いてゆきました。
虎ノ門っつーか、神谷町っつーか、ここにこんなに素晴らしい神社⛩さんがあります。
江戸の原風景が時空を超えて目の前にあります(*^^*)弥栄❗️
境内にベンチと灰皿が設置されていて驚きました。
神谷町にこんな木がこんもり茂った神社があったとは…! 静かで雰囲気のある神社でした。
おみくじ 10円! (^^)
御朱印はやっていません。
HPにわかりやすく表記して欲しいですね。
通りに面したところに表記しておくとか?以前行った時おじいさんが石段やっと上ってお参りして御朱印頂に行ったようですが…貼り紙見てガッカリしてまた石段大変そうに下りていきました。
お詣りにくる人にちょっと失礼な対応かと思いました。
御祭神は、品陀和気命(応神天皇)・息長帯比売命(神功皇后)・帯中日子命(仲哀天皇)。
お江がダンナと義父の帰りを熱心に願ったゆかりのある神社だそうです。
神谷町にあるのだけど、ずっしりとした重みのある空気が漂ってました。
大量の蚊とともに。
神谷町駅を下車し、桜田通り(1号線)沿いに数分、東京タワーを左越しに忽然と鳥居が現れます。
階段を昇ると小高い場所に異次元空間。
社殿の古さに歴史を感じます。
おみくじの10円には驚きました。
社務所は見当たらず、探せばあるのでしょう。
なぜそこに神社があるのか、由緒書きがどこにも無いので不思議な神社でした。
名前 |
西久保八幡神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3436-2765 |
住所 |
|
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評価 |
3.9 |
吸い込まれるように行った。
おみくじが目の前にあり、普段やらないものの10円だった。
お賽銭と同じ金額だったらと引いたら大吉だった。
平安時代中期、藤原道長に仕えた武将、源頼信によって霞ヶ関のあたりに創建された。
室町時代、最初の江戸城を築城した太田道灌が現在の地に移す。
2021年に建て替えられたため美しい社殿。
なのにおみくじ10円。
素晴らしすぎる。