御朱印は書置きのみのようです。
御朱印頂きました。
書置きでしたが、丁寧に書かれていました。
休日ということもあって多くの女性が訪れてました。
書き置き御朱印頂きました。
桜が綺麗な神社です。
桜に惹かれて参拝。
子安観音という子宝に御利益のある神社の様です。
桜がとても綺麗で思わず参拝してしまいました😊立派な桜・・・木花咲耶姫を祀ってるのかな?→木花咲耶姫乃命が祭神でした!子易・・・安産にご利益ありそう→安産祈願で有名でした!分かりやすくてヨシ✌️
穴場的な雰囲気ですがじつはかなり凄いと思います。
落ち着いた雰囲気の神社です。
〔子易神社/Koyasu Jinjya Shrine〕山手通りから、間近なところに、しずかな、たたずまいの神社があります。
《富士浅間神社》発祥の年代は、はっきりしていませんが、富士浅間神社の分霊を勧請して創建されたと言われています。
延宝2年(1674年)には記録が残されています。
安産や子育ての神様として、信奉されてきました。
《子易神社》もとは、小安宮、小安明神社と呼ばれていました。
明治初期の神仏分離の際に、子易神社と改称しました。
《小安観音と胸突地蔵》江戸時代までは、福生寺が別当寺でしたが、廃寺となりました。
お寺に安置されていた、小安観音が、神社に移されて、お祀りされました。
また、入口の横にある、胸突地蔵様は、裏手にあったものを、移設したものです。
台座には、江戸時代の道標も刻まれています。
右上尾、左河越などの文字も見られるそうです。
東武東上線「下板橋駅」もしくは「大山駅」から徒歩5分ほど。
三田線「板橋区役所前駅」から徒歩5分ほどの場所にあります。
東上線の踏切のすぐ近くになります。
神社前の板橋区教育委員会の案内板には以下のような記載がありました。
(抜粋)御祭神木花開耶姫命創建年代は不詳だが、境内地が延宝2(1674)年の水帳に記載されており、創建はこれ以前に遡ると思われる。
富士浅間神社の御分霊を勧請したと伝えられ、旧金井久保村の鎮守であった。
江戸時代は、社号を子安宮または子安明神とも称し、安産・子育ての神として信仰を集めた。
近くの福生寺が別当であったが、明治初年神仏分離により子易神社と改称した。
木花咲耶姫命…絶対可愛いんだろうなぁ♪涼しげでみずみずしい神社でした☆
よくお祭りをやってます。
板橋の子易神社は明治時代神仏分離時安の字を今の易に変更を余儀なくなれたそうです(安は仏教用語の為)
板橋区役所から徒歩で5分位の所にある神社。
地元では愛されている、子宝・保育等の神が祭られている神社。
町のなかで、ホット一息つける木々に囲まれた静かな場所です。
交差点のところにあるが、喧騒はあまり感じません。
神職在住、御朱印を記帳して頂ける氏子神社。
令和元年の例大祭は9月14日と15日で、お隣の池袋氷川神社と同日開催。
期間中の御朱印授与は無い。
安産の御利益に特化した浅間神社でしょうか。
子安とか子易の付く神社はそこそこ在るので八王子の子安神社でオリジナルの御朱印帳を新調して子安巡り専用にすると良いかも(実践中)。
子安神社:八王子市明神町子安稲荷:豊島区池袋子安八幡:大田区仲池上産安社:青梅市御岳山子安天満宮:豊島区北大塚子易明神:伊勢原市上粕屋あとは霞ヶ浦の方とか。
広くはありませんが静かな清々しい空間でした。
境内社もたくさん建っています。
氏神様ですm(__)m
中山道に残る古い神社です。
この辺は道がうねっていて緩やかにアップダウンがあるのですがそれを生かした境内になっていて巨石がいっぱい。
溶岩ぽいのもいっぱい。
ベンチも岩で何か文字が彫ってあったり狐様も石でできた台にいて岩神社という感じ。
トラックのない時代にもってくるの大変だったろうにねぇ。
お稲荷さんの赤いのぼりもピシッとして手水舎にはてぬぐいがヒラヒラ。
とっても手入れの行き届いた気持ちいい神社です。
普通の神社さんです。
ここにはむかしの板橋の面影が残っている感じで雰囲気がよいです。
名前 |
子易神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3963-0383 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
御朱印は書置きのみのようです。
小さなクリアファイルに居れて渡してくれました。
伺った時に、二人境内を掃き掃除していたのですが、会釈だけしたのに無反応だったのがガッカリでした。