名前 |
志自岐家庭園 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
志自岐家の祖は平戸島の最南端にある志自伎神社(式台社;延喜式社名帳に載る元宮内庁管轄)とその 近郊を治める荘管であった。
神社の祭神である十城別王(トオキワケノオオ)の家臣で宮司も兼ねていた。
その後、平戸松浦の戦国大名化に伴い二十三代覚翁弘定のころ家臣となり代々藩の要職を務める家老格の家柄である。
天保十年(1839)建築の木造平屋建、書院造りの座敷と茶室がほとんど当時のまま残っている。
当時から残る薬医門(陽明門)は平戸瓦葺きで、いかにも当時の藩の要職に就いていた家柄の風格を漂わせており、門の中央から朝日が昇る。
1825年異国船打払令が出され、当時の役柄で海賊の見張りをしたと伝わる遠見台(展望台)がある。
庭の奥には志自伎神社を祀り、周りには3種の竹、笛槍、正月用がある。
平戸つつじを代表する原木「夕陽(せきよう)」「紅千鳥」をはじめハルサザンカの原種、庭の中央には中国系オールドローズ、柊、もっこく等、珍しい植物や古木が多いのには驚かされる、 とりわけ樹齢数百年にも及ぶ平戸つつじの原木が普段見慣れたツツジのイメージを変える。
柴も通年、お盆、正月用と3種、飢饉用に果実、茶畑と、昔は自給自足を旨とした庭造りをしていた。
また高さ7m、長さ40mのイヌマキの生垣は圧巻であり、海風から屋敷を守る防風林の役目を兼ねる。
溝の中にも当時の石工の仕事を見ることができる。
(2019年4月20日)