中国の未来を語っていたと言われている。
この近くに住んでいた宮崎滔天宅に身を寄せていた孫文は、宮崎とともに白山神社境内の石に腰掛け、中国の未来を語っていたと言われている。
碑文を転記します。
由緒昭和四十三年度総大会に於ける宮総代秋本平十郎及浦部武雄両氏の談話の中に白山神社境内には中国の政治家孫文先生と宮崎滔天寅蔵氏の腰掛けられた石があるとの御話がありました依而昭和四十四年度の総代会に故滔天の御子息宮崎龍之介氏を御招きし其の当時の事をお偵ひ致しました処明治四十三年五月中旬の一夜、孫文先生は滔天氏と共に境内の此の石に腰掛けながら中国の将来及其の経論について幾多の抱負を語り合わされて居た折たまたま夜空に光芒を放つ一條の流星を見られ此の時祖国の革命を心に誓われたと言ふお話をなされました宮崎滔天全集の中に孫文先生は当神社に程近い小石川原町の滔天氏宅に寄寓せられて居たことが記されておりますこの歴史上の事実と当社との因縁を後世に伝うべく豫ねてより総代会にて 屢々議題に上がりましたが此の度宮総代酒井龍蔵氏の御発言を契機として神社総代各町会総代有志の心からの賛同の結果、此の腰掛けの記念碑建立の運びと成り之を永代史跡として残すことに成った次第であります昭和五十八年六月一日白山神社 宮司 清水 司だそうです。
名前 |
孫文先生座石 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.8 |
(おそらくだが)石碑の手前にある長石が、孫文の腰掛け石だそうだ。