白壁の八角三重塔の妙法院南朝妙法殿は昭和三十三年(...
遠目から目を引く三重の八角堂など。
建武政権崩壊の混乱のさなかに、足利尊氏によって皇位を奪われ幽閉されていた後醍醐天皇は、延元元(1336)年に京を脱出して現在の吉水神社である吉水院に入り、北朝の皇位継承を否定して南朝を開きます。
吉水院は手狭であったため、わずか数日で実城寺に居を移し吉野における行宮とします。
その実城寺があった行宮跡地に建つのが南朝妙法殿です。
行宮となった実城寺は後醍醐天皇から金輪王寺の寺号を与えられますが、数年後には高師直によって焼き討ちされ、近世に入ると宗教勢力を抑えたい徳川家康に金輪王寺の寺号を奪われ、さらに明治になって廃仏毀釈の波に呑まれ、ついには廃寺となるという波乱万丈の命運を辿ります。
その跡地に建つ妙法殿は、南朝の四人の天皇と第二次世界大戦の戦没者追悼のため昭和中期に建てられ現在に至ります。
美しいですね。
2019 11 13本日、南朝妙法殿にて参拝させて頂きました。
初めての参拝です。
南朝妙法殿の周りは、紅葉が始まりましたね🎵〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️吉野朝宮跡(南朝妙法殿) 延元元(1336)年、幽閉先の京の花山院を脱出され、吉野に潜幸された後醍醐天皇は、先ず吉水院に入られ、行在所とされましたが、手狭であるため、翌春、蔵王堂の西にあった実城寺を皇居とされ、寺号を金輪寺と改められました。
この寺は、明治初年に廃仏毀釈で廃寺になり、建物一円も取り払われましたが、その跡に昭和33(1958)年、南朝四帝の尊霊と先の大戦での戦没者追悼の施設として南朝妙法殿が建設されています。
これも何かの縁と、お参り。
日中は扉を開けて、中の仏様を拝ませて頂けます。
桜の季節は蔵王堂横の階段から桜とともに眺めることができます。
桜の季節は綺麗です。
前の建物の廊下に色んな彫刻が展示されていて、外から見えます。
毎月19日に千巻心経をやっています。
八角形の塔。
桜の季節はきれいです。
名前 |
妙法院 南朝妙法殿 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
白壁の八角三重塔の妙法院南朝妙法殿は昭和三十三年(1958年)に建立されたお堂になります。
南朝の後醍醐天皇・後村上天皇・長慶天皇・後亀山天皇と南朝の忠臣達や太平洋戦争での戦死者などの霊を祀っている。
ここはかって第九十六代後醍醐天皇が行在所としていた実城寺の跡地であり、実城寺の御本尊と伝えられる木造釈迦如来坐像が安置されています。