板橋宿、下板橋村の鎮守の氷川さまです。
静かな神社です。
夏の暑い時期には境内の木陰が心地よく、たまに訪問します。
静かな神社です。
初孫のお宮参りに行きました。
神主さんがとても親切な方でした。
大宮の氷川神社ほどではないですが、いちょう並木の先に立派な社殿、能舞台に富士塚(小さいけど登れます)まで揃い、なかなか風格があります。
氷川神社は長い参道を持つものが多いのですかね?!総本社の大宮氷川神社は超有名ですが、ここも長い参道が素敵ですね。
ただ、大きな道路、マンションなどが周りにあり、緑が少ないのが寂しい感じです。
稲荷、さらに富士塚があるのが面白いですね。
社も美しく、都会の喧騒を忘れられます。
氷川つり堀公園と背中合わせに板橋宿の鎮守さま、氷川神社が祀られており、お参りしてきました。
この辺りの領主だった豊島左衛門尉経泰が大宮市の氷川神社から御祭神の素盞男命と稲田姫命の二柱の御分霊を奉じ、石神井川のほとりにお社を造って代々お祀りしていたそうです。
豊島氏の没落後は、住民が中仙道の親宿である板橋宿の鎮守さまとして尊崇してきましたが、明治22年に火災の為、資料や文献を消失。
お社は翌年再建されましたが、昭和20年には戦禍を蒙り全焼。
流れ造りの御社殿は昭和33年に竣工したんですって。
現在の氏子区域は十九ヶ町といいますから、かなり広域ですね。
こちらの境内には富士塚があり、板橋区内では唯一江戸期に造立されたものだそう。
山頂には木花咲夜姫の碑が建っています。
板橋区には、北野神社に徳丸富士、赤塚氷川神社に上赤塚富士があるそうなのでこちらも巡ってみようかな。
板橋氷川富士では、江戸中期の富士講の指導者で富士講身禄派の元祖である食行身禄の弟子の永田長四郎が結成した永田講による登山神事が100年余り行なわれていたそう。
現在永田講は閉講していますが、板橋区立郷土資料館には道具が寄贈されているんですって。
これはちょっと観てみたい。
当該地域における富士山登拝講の活動状況や地域の信仰・民俗等について考察する上で貴重な史跡であるとして、2013年に区登録文化財になっています。
お社は消失してしまいましたが、参道や鳥居、富士塚などが長い歴史を感じさせてくれます。
ご近所には氷川神社が多いと思って調べてみたら、板橋に10社もあるそうです。
富士塚を登拝しに来ました。
富士山の溶岩は少ししか使われていなく、ミニチュアとしては再現性に乏しいがよく保存されている富士塚でした。
ご朱印をやっていない。
板橋宿、下板橋村の鎮守の氷川さまです。
室町時代に豊島氏が勧請したようです。
王子から板橋にかけて、豊島氏の関係する場所が多いです。
2017/10/21参拝しない。
御朱印はやっていないそうです。
「そこに書いてあるでしょ!」だって。
この神社の寂れ方は参拝者へのそういう態度にも要因があるであろう。
ここで七五三やお宮参りはXだな。
勿体ないなあぁ!
なかなか長い参道を持つ氷川神社です。
ただ御朱印はやってません。
5年前に氷川神社巡りで訪れた時は、御朱印はあったのですが、俺以外に参拝客が、誰も居なかったのに、御朱印帳を一週間預かりますと言われたので、受けませんでした。
もう一つそばの双葉氷川神社と共に、常駐されているのに御朱印は受けられません。
中山道沿いにある大きな神社です。
参道はこれ…ヒン曲げたのかな?国道17号ができるときに少し削ったそうです。
境内には小さいけど立派な富士塚がありまして頂上までわずか10秒くらいのことに細かい社がいっぱい建っています。
全部に100円入れてったらここだけで1000円ぐらいとられそう。
いちばん上の天祖神社?はミニチュアながらすごいデキ。
よーくみると溶岩ぽいものもちらほらあってどんだけ富士山好きだったんだ昔の人は。
大きな神社さんです。
広い幹線道路脇で見つけ易かった。
中山道沿いにありますが、境内は静かで落ち着きます。
お祭りの前日に行ったので、屋台の準備で大忙し御朱印は無しです。
普通に氏子さんたちが運営している感じ。
名前 |
氷川町氷川神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3961-6568 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
この辺りの氏神様でお祭りも大きくやります。