名前 |
大関屋敷跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
荒川区教育委員会の案内板がここに立っています。
すぐ脇には大関横丁由来之碑もたっています昔豆知識の本で、大関横丁の大関は相撲の大関が住んでいたということではなく云々、と読んで答えを忘れていました。
下野黒羽藩主の大関さんのことだそうです。
この辺りが武家屋敷が立ち並んでいたとは知らなかったし意外な気がします「下野黒羽藩主大関氏は、寛文元年(一六六一)、幕府からこの地に下屋敷を拝領した。
その範囲は、現在の南千住一丁目一~八・十・十一番の一部の辺りと推定される。
面積は抱屋敷を含めて、八千百坪(約二万六千七百平方メートル)であった。
黒羽藩 十一代の増業は、膨大な図書の編集と藩政改革で知られる。
文政七年(一八二四)の隠居後、この下屋敷に閑居した。
また、十五代の増裕は若年寄兼海軍奉行の要職にあり、軍艦奉行勝海舟 とともに幕末に活躍している」