遺構は農地の中にポツンと土塁がわずかに残るだけです...
遺構は農地の中にポツンと土塁がわずかに残るだけです。
東三河の有力国人領主である牧野氏により築城されたと考えられています。
小高くなっている角の部分だけ残っています。
城跡と言えば城跡かなと。
発掘調査の結果、ここにあったということだけは確かなようです。
2020年11月2日行って来ました。
行き方Googleナビで牧野城跡にセットすると行けます。
駐車場無しです。
但し交通量は多く無いので路駐で大丈夫です。
感想周りはビニールハウスだらけですが良く残してくれたと思います。
周りはビニールハウスここだけ残しておいてくれてありがとうございます。
●室町期の城跡応永年間(1394~1428)、四代将軍足利義持の命により、四国讃岐から三河国宝飯郡中条郷牧野村の地頭として移ってきた田口伝蔵左衛門成富。
彼はこの牧野の地でこの城を築き、名を牧野に改めている。
かつて豊川の川筋はこの城の西側を流れていたという。
その自然堤防上にこの城は築かれている。
今となっては南側の土塁をわずかに残すのみである。
場所が解りにくい。
ルーツ探しで来ました。
名前 |
牧野城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.mito.or.jp/mito-intro/toyokawahistory/1east/4-1-10 |
評価 |
3.3 |
牧野まっきんは牧野古白の子孫になります群馬から一度は見たくて来てみました私にとっては牧野家ゆかりの大胡城、長岡城、とならぶ城跡です。