関門花火大会を観覧しようと訪れました。
宮本伊織が建てた、宮本武蔵の碑があります。
見事な碑です。
麓には、宮本伊織の墓や宮本家代々の墓所もあります。
展望台から見える関門海峡の景色も素敵です。
明治の砲台跡や発電所跡など貴重な史跡もあり、見所だらけです。
小倉北区の赤坂・手向山頂上にある関門海峡の眺望が出来る公園です😃朝・昼・夕とご近所のお年寄りの方々が健康増進の為、よくウォーキングをされていますね! 頂上に向かう道は、新緑豊かで春には椿等を多く咲き、心と身体にも良いと思います🖐私は自転車で登りましたが、サイクリング慣れされている方にはちょうど散歩に良いコースですね!
規模は中規模でそんなに広くない場所ですが宮本武蔵の墓があったり、下関要塞の一部である探照灯や倉庫、砲台跡が良い状態で保存されています。
したの発電所跡を含め歴史好きの方にはおすすめの場所ですが、主要駅から遠いので自家用車かバスを利用しないと訪れずらいのが難点です。
また、春は桜が咲き誇りそこそこ穴場のお花見スポットになるのですが夏は場所の特性上蚊がかなり多いので虫除け対策はしっかりして訪れましょう。
小さな山なので非常に登りやすく歴史的な史跡が多く残っていました。
2種類の展望台がありますが、周りの木々が生い茂りすぎているので素敵な景観が楽しめるかどうかというと微妙でした。
イノシシに注意の看板がいくつかあるので、こちらでも遭遇することがあるんですね。
手向山公園は独立小丘にあるため、手軽な散歩コースであるとともに展望台、第二展望台から関門海峡を中心に360度の展望が楽しめます。
また、ここは剣豪宮本武蔵が佐々木小次郎を倒した巌流島もみえることもあってか、武蔵の養子で小倉藩筆頭家老の宮本伊織が藩主小笠原忠真公から拝領した山で、山頂には宮本武蔵の碑が建っているとともに、かつては伊織の墓のほか宮本家代々の墓所もありました。
明治期、日露戦争に備えて、下関要塞の一つとして手向山砲台が構築された際に、宮本家代々の墓所は手向山公園入口脇に移築されていますが、武蔵の碑と敗れた佐々木小次郎の碑も見られては如何でしょうか。
また宮本伊織の墓もあわせて参拝されるといいかもしれません。
下関要塞を構成する手向山砲台跡には砲台、砲側庫から観察所、探照灯、火力発電所まで一連のシステムがセットでいい状態で残る点で貴重な戦争遺跡であり、長く残すべき遺跡ですので、是非併せてご見学下さい。
あの有名な宮本武蔵が北九州市に縁があった事を知る事が出来る場所です。
21/3/24ソメイヨシノは5分咲きくらいで、山桜は満開でした。
小倉と門司の境、海ギリギリまで山が迫っている所が手向山です。
マイナーですが綺麗な桜山です。
周辺から桜は見えず木々ばかりですが、登ってみると桜に囲まれた公園です。
ソメイヨシノ以外にも山桜やら色々な種類の桜が楽しめます。
展望台からは関門海峡の眺めもいいのです。
ここは明治時代より陸軍の砲台陣地がありました。
敵国艦隊が関門海峡を通過するのを阻止する為です。
戦前まで関門一帯の山々は要塞地帯だったのです。
その遺構も残っています。
また山の南側は鳥越峠と呼ばれ、第二次長州戦争の激戦地でした。
今は静かな公園ですが、激動の時代を記憶する場所なのです。
21/3/28 桜が満開。
写真を追加。
北九州の工場夜景、関門海峡を一望できる素晴らしい公園です。
歴史を感じられました!
佐々木小次郎と宮本武蔵の碑が有りましたください。
昔から何度も行っている公園です。
明治時代に砲台も設置されていました。
目下には宮本武蔵と佐々木小次郎が果たし合いをした巌流島を見れます。
関門橋、皿倉山も見えます。
気分転換やウォーキングに良い場所。
伊織の想い、小説家の想い、遠くに舟島も見えててノスタルジーな場所だが観光地になってほしくない公園。
武蔵の碑文や歴代の宮本伊織の墓があります(墓は私有地なのでマナーを守ってください)
タダで見るなら悪くない良い景色。
明治の史跡が良く残っている。
戦時中はこの山を写真に撮ったり、絵を描く事も禁止されたという要害の地。
毎年春には武蔵小五郎祭りが開催される。
近くの小学校の定番の遠足コースにもなっている。
見晴らしは木々が覆い繁りいまいち。
もう少し整備されたらと思う。
夜景もそれなりに綺麗だが上述した理由により一部では見えない。
此処は余り夜には行かない方がいい場所です。
幽霊とかそんなもんじゃなく、道が狭く離合困難なのと雰囲気の悪い方々が出没するエリアなので。
友達とよく歩いた夜中に行くと暗闇の中に車がよくある。
武蔵のことが出ている小倉碑を見たくて 小倉ておりてバスで田向山公園に向かった。
どこでバスに乗るのか 探すのに手間が言ったが 駅前から200メートルほど離れた大道りにあった。
乗る路線がわからなかったが乗った。
途中の車庫あたりが終点だったので そこで乗りなおした。
行き先が多くわからない 路線案内図で よそから来た人は かなり良く聞かないとわからない。
公園東で降りて 10分ほど坂を上ると 長治う付近に碑が見えた。
武蔵は播州産となっているが 美作にしかない新免氏を名乗っているから 話がややこしくなる。
そのうえ赤松も。
生まれたのは 晩秋かもしれない?が、美作の宮本村には武蔵野少年時代のエピソードがいっぱい残っている。
播州のほうはそれがない。
作州で育ったことは間違いない。
父や武蔵がいた 大原・竹山城は1580年 毛利が山陰から 山中鹿之助のいた三日月城を攻め落とすため先に 新免が守る竹山城や平地に作った 縣の構えを攻め落とした。
武士として食べていくため 作州の侍たちは 毛利に従い 九州方面で戦った人もいる。
三ツ星城の家老格の難波利助も難波三笠と言われたように 毛利に従い 九州に行っていたとも伝わり・・・ひょっとしたら父親も九州に点々としていたのは 多分 毛利との関係かあったからではないだろうか。
それにしても 巌流島が見える 手向山に碑を立てるとは さすが伊織は知恵者であったと思われる。
一級の碑にあえて よい一日であった。
明治21年に竣工された手向砲台跡に戦後整備された公園で砲座跡、探照灯台座跡、火力発電所跡と戦時遺構を残した良い公園である。
砲座跡からは関門海峡を直視できなかった為、探照灯台座跡のある場所で監視敵艦の位置を知らせる仕組みであった。
その探照灯台に電力を供給する為に赤煉瓦造りの火力発電所が建設された。
春には祖国を守る為に任務に就いた先人達も桜を楽しんでいる事だろう。
また江戸時代には家老職であった宮本武蔵の養子・宮本伊織が拝領した地であるからみで麓には累代の墓所、園内には宮本武蔵彰徳碑や佐々木小次郎の碑がある。
見晴らしもいいしゆっくりできる❗
最高の夜景でした。
関門花火大会を観覧しようと訪れました。
花火を見るには遠すぎでした…夜景を見るには良いと思います♪
巌流佐々木小次郎と宮本武蔵の決闘、幕末の四境戦争・赤坂口の戦いなどのゆかりの地であり、関門海峡を護る砲台でもありました。
名前 |
手向山公園 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
093-541-4189 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.7 |
宮本武蔵の養子(2人目。
1人目は早世)、宮本伊織が、父の足跡を遺すために建てた 小倉碑文 があります。
宮本伊織も、ただ者ではなかったのは有名です。
決闘で知られる巌流島(舟島)を望め、佐々木小次郎の碑もあります。