音羽は山科の中でも結構古い町。
志賀直哉旧居跡 石碑 / / .
ちゃんと読んだことはないけれど有名な作家さんの旧居宅が山科にあったんですね。
石碑があるだけなんですが、桜並木が美しいです。
桜の時期も良いです。
自転車で通り過ぎ、確認。
桜の木が2本。
春には綺麗だろう。
静かです。
ただの遺跡です。
志賀直哉が昔住んでいた所を示すだけ。
宮城県生まれで東京で過ごした志賀直哉が、山科で暮らしていたとは、最近まで知りませんでした。
石碑は山科駅から歩いて5分ほど、山科川沿いの桜並木の途中にありました。
石碑の横にはお地蔵さまがあり、周りはきれいに掃除されています。
志賀直哉はこの地で1913年から2年ほど過ごしたようです。
彼の年表を見ると、この頃結婚しています(その後、妻の病気により鎌倉に転居)。
また彼の作品に「山科の記憶」という小説があるとのことですが、石碑には「山科之記憶」と書かれています。
桜が今日 明日一番綺麗に咲いているでしょう✨今夜今からでも夜桜見るのも良いと思います。
石碑があるだけです。
桜がきれいでした。
桜並木がきれいな場所にひっそりあります。
音羽は山科の中でも結構古い町。
昔の音羽村。
今はそこそこ便利な住宅地。
ここに志賀が住んでいたのか。
少し南にある迎賓館は趣ある建物ですわ。
音羽は山科の中でも結構古い町。
昔の音羽村。
今はそこそこ便利な住宅地。
ここに志賀が住んでいたのか。
少し南にある迎賓館は趣ある建物ですわ。
あの志賀直哉が約2年住んでいたそうですよ。
來自台灣的旅客,造訪這個位於寧靜小鎮的歷史角落。
【京都市の資料より】志賀直哉(1883~1971)は,詩人竹内勝太郎(1894~1935)の紹介により,大正12(1924)年10月26日,粟田口三条から居をこの地に移し,同14年4月まで住まいした。
山科における体験をもとに「山科の記憶」「痴情」「晩秋」「瑣事」などの多くの作品が生まれた。
この石標はその邸宅跡を示すものである。
名前 |
志賀直哉旧居跡 石碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/ya025.html?x=22&y=23 |
評価 |
3.6 |
2023/3/28の19:20です。
ゴミ収集所の隣なのですが、桜がとてもキレイです。