大黒屋光太夫の記念館です。
かねてよりずっと訪問したいと思っていました!入館無料で展示物はそれほど多くありませんが、光太夫さん生家近くに立地。
海岸線が浸食し隣のお寺もろとも内地に後退しての現在地とのこと。
当時の生活に思いを馳せることができました!
閉館時に立ち寄ったので内容は分かりませんが、入口に伊勢若松駅にあった大黒屋光太夫の像と同范の像が船形の石材の上に立っています。
鈴鹿の彫刻家稲垣克次の作だそうです。
また門の前に若松市民センターにある光大夫の顕彰碑の断裂した旧碑の篆額部分とイルクーツク市から贈られた「露日交流の記念碑」銘板が貼りつけられています。
また対面の若松小学校の校庭には読書する光太夫の石像があります。
小さな施設ですが職員の方が2・3名おり、館内の案内など親切にケアしてくれました。
展示資料はそれほど多くはありません。
光太夫の軌跡と活躍が良くわかる施設です。
見ごたえあります。
入場無料で駐車場もあります。
みなもと太郎の漫画とあわせて資料が展示されていて最高だった。
小学校前にあります静かな所に有ります‼️
無料、駐車場ありワンフロアでスペースが限られているが、順を追って解説されている。
展示内容がわかる冊子が頂けた。
江戸時代にロシアに渡った漂流民で白子出身の大黒屋光太夫の資料館です。
年4回展示を変えるそうですが、光太夫が書いたロシア語の掛け軸や扇など、有料でもおかしくない様な貴重な品々を無料で見学できます。
漂流中や帰国後の光太夫の足跡が、分かりやすく丁寧に説明されており、教科書を読むだけでは分からない歴史のロマンを感じられます。
場所は伊勢若松駅から徒歩15分、小学校の隣にあります。
急行が止まる駅から歩ける距離で、駐車場もあるのでアクセスも良いです。
2005ー平成15年に開館し、鈴鹿市が大黒屋光太夫の資料を公開-展示しています。
小さな博物館。
江戸時代後期、鈴鹿・白子から江戸へ向かうはずの大黒屋光太夫らはロシアまで漂流し、ロシア語を覚え、ロシア国王・エカチェリーナ2世と対面、苦難の末に10年後に日本に帰国......。
以前映画で取り上げられ、緒形拳さんが熱演していたのを思い出しました。
この博物館には、大黒屋光太夫らが乗船した船の模型、彼らの足跡、帰国後の文書、光太夫が書いたロシア語の墨書やロシアから持ち帰った品々、漂流記、古文書などが展示されています。
コンパクトに展示されておりいいと思います。
ロシアに渡航した人がいない時代に、この伊勢若松生まれの大黒屋光太夫がロシアに行って帰って来たということとロシア語が話せるということで、偉大な人物扱いをされていた。
こんな身近な所に偉大な人物がいることを記念して、市指定の文化財としての記念館は凄いです。
解りやすく解説がなされています。
それと、白子高等学校吹奏楽部によります大黒屋光太夫ミュージカルが明年3月14日(土)に鈴鹿市民会館にて開催されます。
さすがは地元の英雄やな❗
知らなかったことをたくさん知れて面白かったです。
日本で初めてのロシア語辞典の編纂経緯や光太夫や仲間達の生きる力の凄さに感激しました。
貴重な資料がたくさん展示してあり、広いわけではないのに、気付けば30分以上無言で見入っていました。
とくに印象的だったのは光太夫さん直筆のロシア文字の墨書の数々で、署名も含めてとてもお洒落で、このセンスはあの時代のロシアで磨かれたのかなと思いました。
受付の女性もとても親切です。
伊勢若松の駅からは15分ほど歩きますが、たくさん道案内の看板が出ているので迷わずいけると思います。
無料の施設で、文化人の勉強が出来て良いです!偉大な方として、もっと世の中に広まってほしいという思い入れがあるからか、似たような人物紹介のパンフレットが多いので、もう少し集約されても良いかなと思いました。
江戸時代に難破してロシアにたどり着き、苦難の末に帰国した大黒屋光太夫についての史料が展示されています。
ロシア研究や日露友好の礎となった先人を知ることができます。
撮影できないのが残念。
せめて制限付きでも記念撮影できれば。
大黒屋光太夫の記念館です。
現在は光太夫のロシア文字の墨書が色々展示されています。
館内は撮影禁止ですが、他の方も指摘しているように、なんとか工夫してほしいと思います。
他では見られない珍しい品々が展示されているので、撮影が駄目なら収蔵品の図録ぐらいは作ってほしいと思います。
それにしても、イクラ、ノルマ、アジトがロシア語とは知りませんでした。
意外なところにロシア語が使われていたのですね。
余談ながら、私はここに来るまで光太夫は帰国を果たしたものの、幕府によって江戸の屋敷に軟禁状態にされてせっかく外国で得た知識も役立てられず、故郷に帰ることもできず江戸で死んだと思っていました。
しかし新資料の発見によってそれは否定されたそうです。
光太夫は多くの学者や政治家と交流し、その知見を蘭学の発展に活かし、また享和二年には帰郷も果たしていたということが分かってきました。
これらのことが分かっただけでもここに来て良かったと思いました。
建物が小さすぎて残念です。
収蔵物は良いのに・・・。
三重県の偉人なのでもっと大きい扱いをしてほしいです。
名前 |
大黒屋光太夫記念館 |
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ジャンル |
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電話番号 |
059-385-3797 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
お客様に紹介されて伺いました知らないところで大活躍されている方がいらっしゃるのだと知りました。